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【ミステリ】齊藤想『トイレの詰まり』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第50回)に応募した作品です。
テーマは「トイレ」でした。

―――――

『トイレの詰まり』 齊藤 想

「またトイレが詰まっているわよ」
 と恭子が文句を言う。夫婦で二人暮らし。毎日のように建替え問題が話題になるほど古い団地とはいえ、水流はしっかりしてる。通常では詰まることは考えられない。
 夫の崔太郎が寝そべりながら新聞を開く。いつもの土日の光景だ。
「ちゃんと処理をしたのか?」
「いつも通りにしているわよ」
「それなら詰まるわけないけどなあ」
 崔太郎がめんどくさそうに半身を起こすと、トドのような体を揺らせながら、トイレに近づいていく。
 崔太郎が便器の内側をのぞき込むと、いまにも容器から溢れそうなほど汚水を湛えている。耳を澄ますと、わずかだがチョロチョロと流れている音がした。大きな物体が流れずに詰まったときに起きる現象だ。
「でかいものを流すときはちゃんと崩すようにと言っただろ」
 崔太郎が恭子を責めると「女性だもの」と口を曲げだ。
「いつまでも、それを言い訳にしたら困るんだよなあ」と文句を言いながら崔太郎はいつものワイヤーを取り出す。
 すでに何度も使っているので、便器に合う形状となっている。崔太郎は回転させながら奥までワイヤーを差し込むと、つまりの原因となっている物体を取り出す。丁寧に砕いてまた流す。
 渦を巻きながら、全ては排水溝の奥へと流されていった。

 ひと仕事終えると、二人は散策にでかける。
「高梨さん、今日も仲がいいわねえ」
「ええ、ありがとうございます」
 この団地は高度成長期に開発された。そのころに転居してきた夫婦がそのまま住み続けているため、老人が多い。世間から見捨てられたような団地の中で、高梨夫妻の若さは目立っている。
 この団地では、毎日のように住人が死に、誰かが行方不明になる。歯が抜けるようにして、住民が減っていく。
 崔太郎は小さな化学薬品メーカーを経営しており、平日は忙しい日々を送っている。それでも高梨夫妻は若いだけに、お手伝いのお声が次から次へとかかる。週末のたびに葬式の手伝いをして、行方不明者の捜索に狩り出される。
「そろそろ葬式の時間か」
 崔太郎がつぶやいた。恭子はそれを軽く聞き流す。また忙しい時間が始まる。

「美佐子さんしっかりしてください」
 老人だらけの葬式だ。何人かは足元がおぼつかない。それを介助するのは崔太郎の役目だった。特に身寄りのない老人は、親族がいないだけに、高梨夫妻に頼り切っている。
 高梨夫妻は副業として、身寄りのない老人の介助も仕事にしている。多少の金銭を受け取り、深夜の対応など、業者ではできないような手伝いをする。
 葬式とは別れの儀式だ。葬式中に「死にたい」とつぶやく老人は多い。子供も妻もなく、親しい友人を亡くしてしまったときには、本当に切ない。
 高梨夫妻はそうした老人を励まし、何度も話し合い、それでも死にたいという老人には最後の世話をすることにしている。
 金銭を受け取り、肉体の全てを薬品で溶かし、ゆっくりとトイレに流す。何日かたつと、どこかで行方不明の噂が立つ。形だけの捜索をして、時期を見計らって高梨夫妻が警察に届出を出す。いつものことだと、警察は事務的に処理していく。
 身寄りのない老人の行方など、だれも気にしない。警察もうすうす気がついているのかもしれないが、誰もが見てみぬふりをしている。行方不明になった老人は、だれもが死にたがっているのを知っている人間ばかり。むしろ、噂を聞きつけ、死ぬために団地に引っ越してくる老人もいるぐらいだ。人手不足の市役所も、手間と金のかかる老人たちが行方不明になって助かっている部分もある。
 トイレは全てを流していく。人生も全て。
 誰もがウイン=ウィンとなる関係が、ここにある。
 高梨夫妻は、今日も仕事に励んでいる。

―――――

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【掌編】齊藤想『修羅の国』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第49回)に応募した作品です。
テーマは「修羅場」でした。

―――――

『修羅の国』 齊藤想

 国堺の長いトンネルを抜けると、修羅場であった。夜の底が白くなった。信号所には猛獣が溢れ、汽車から降りてくる戦士たちを待ち構えていた。
 向側の座席に座っていた相棒が立ち上がり、島村の前の強化ガラスをあげた。猛獣の唸り声が夜の闇に響く。
 この国の猛獣は夜行性らしい。雪の大地が夜のとばりに包まれても、活動をやめる気配がない。鳴りやまない唸り声と獣の匂いが、ここが修羅場であることを思い出させる。
「ヤツらまでの距離はどの程度だろうか」
 葉子が薄ら笑いを浮かべる。
「そんなこともわからぬとは、島村も耄碌したものだ」
 葉子の声は悲しいほど美しかった。その氷のような声に誘われたかのように、猛獣どもの唸り声が一気に高まる。
「近いわね」
 葉子は背中に抱えていたマスケット銃を構えた。視線と銃身と腕が一直線になる。
「キマイラまで残り五秒」
 葉子は猛獣までの間隔を、距離ではなく時間で測る。少し間があって銃声が聞こえる。屠場のような悲鳴と、何かが押しつぶされたような音がした。葉子は素早く次の弾丸を込める。
「ゲーリュオーンまで三秒」
 言い終わるや否や、再び銃身が火を噴く。
「足元にエキドナ」
 胴体が蛇の美女が乗降口から侵入しようとしている。島村は接近戦用の長刀を振り下ろし、美しき首を切り落とす。
 この調子では、いくら命があっても足りない。いつかは猛獣にやられてしまう。島村は伝声管に怒鳴った。
「何をしている。もっと石炭をくべろ。速度を上げないか!」
伝声管を通じて、車掌の声が返ってくる。
「これが限界です!」
「目的地の温泉まで千三百十二秒」
 島村は「あと二十二分か」と心の中で換算する。
「島村、あいつをなんとかしろ」
 葉子は百もの頭をもつ竜を指さした。ラードーンだ。葉子は近づく敵を銃で撃ち崩しているが、百の首まで手が回りそうにない。
 島村は運転席に移動すると、スコップで燃え盛る石炭を掬って大地に投げつけた。雪から顔を出している枯草に火が付き、雪の表面を這うようにして炎が広がっていく。一瞬、ラードーンがひるんだ。その様子を見て、島村は一転して石炭を炉にくべて汽車の速度を上げる。ラードーンは置き去りになった。
 客席に戻った島村を葉子は出迎えた。
「なかなかやるじゃないか。だが、この先も怪物は待ち換えているから油断するなよ」
「わかっている」
 そう答えながらも、島村は釈然としない思いを抱き続けていた。
「それにしても、なぜ、おれたちはこんな世界に放り込まれたのだ。鄙びた温泉に入りたかっただけなのに」
 猛獣を遠ざけた葉子は美しい声で答える。
「小説とは、進化するものである」
 氷のような声が、銃声でかき消される。マスケット銃は散弾も放つことができる。洋子の一撃で、人知れず接近していたスキュラは粉砕された。
「小説とは低俗な読み物として誕生し、いつしか芸術作品扱いされ、再び低俗なエンターテイメントに回帰しようとしている。小説という定義が揺らぐたびにジャンルは拡散し、混迷の度を増していく」
「それが、なんだというのか」
「小説とは楽しむもの。しかし、その楽しさはひとそれぞれ。だからこそ、面白い」
 そのとき、何かが頭の上を横切った。その何かは壁をけり、葉子に向かって牙をむく。
 島村は長刀を振り下ろす。何かは身体をひねって交す。怪物は音もなく着地した。
双頭の犬が、よだれを垂らしながら二人を睨みつける。
「オルトロスだ」
 葉子が冷静に分析しながら、会話を続ける。
「小説とは何のために書くのか。何のために読まれるのか。この世から無くなったとしても、だれも困らないのに」
 弾を込める余裕のない葉子は、銃をひっくり返すと、台座を振り回した。葉子を守らなくてはらない。島村は決心して葉子の前に出て、長刀を正眼に構えた。
 オルトロスは飢えているようだ。牙の隙間からたれる涎が止まらない。島倉は葉子に言った。
「いくら小説だからといって、このストーリーはない。ゆきすぎではないのか」
「冒頭を読んだかね。ゆきすぎではない」
 葉子は悲しいほど美しい声で答えた。
「これは『雪国』だ」

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【掌編】齊藤想『空の夢』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第48回)に応募した作品です。
テーマは「空」でした。

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『空の夢』 齊藤 想

 病室の中央では、だるまストーブが煌々と炎を上げ続けていた。天板に乗せられホーロー製の薬缶が湯気を吹き、薄い窓ガラスに水滴をつける。
 水蒸気を取り込み、成長した雫が重力に負け始める。周囲の水粒を巻き込みながら体積を増し、最後は窓枠を濡らして消える。
「今日のご機嫌はいかがですか」
 安政生まれという小太りの婦長が、龍之介に声をかける。婦長の兄は彰義隊に参加し、上野の山で戦死したという。
「気分は悪くない」
 そう言うそばから、龍之介は咳き込む。口元から腐臭が漂う。匂いは日を追うごとに強くなっている。もう長くない。自分の体は自分が一番良くわかる。
「じきに良くなりますよ。人生なんてものは、息を吸って吐いてなんぼのものですから」
 龍之介は直接答えず、顔を横に向ける。暗く沈み切った空気が、空の青さを際立たせている。
 こんな日に空を飛べたら、どれだけ気持ち良いだろうか。
「今日は特に青いな」
「空気が澄んでいるのは冬だからよ。それはそうと、辰野さんが好きそうなニュースを持ってきてあげたわ」
 龍之介は婦長が持ってきた新聞を開く。そこには大きく、亜米利加国でライト兄弟が世界で初めて有人動力飛行を成功させた記事が美文調で語られていた。
「少し先を越されたわね」
 婦長は年甲斐もなく、いたずら娘のようにささやく。龍之介も世界初を友人動力飛行の実現を目指して研究を進めてきた。ところが孟宗竹の骨組みに和紙を貼って作った大羽で滑空中に墜落し、胸部を強打。さらには肺炎にも侵された。
 入院中に世界初は奪われた。龍之介は新聞を婦長に返した。
「おれの人生は無駄に終わった」
 龍之介はうっすらと東西に伸びる筋雲を見上げた。スズメが雲の筋を直角に横切り、そのまま飛び去って行く。
「死ぬようなことを口にしたらダメですよ」
「そんなことを言っても、本当に死ぬのだから仕方がない。人間いつかは死ぬ。早く死ぬか、遅く死ぬかの違いにすぎぬ」
「どこかの誰かが言ったことを真似しても、心には響きませんよ。辰野さんの仕事は一日も早く体を治すことです。そのためには、まずは体を清潔に保つことです」
 婦長はそう言いながら濡れタオルを渡してきた。龍之介はおっくうそうに顔を拭う。
「おれはねえ」と龍之介はこぼす。ついついこの婦長には本音を話したくなる。
「悔しいんだよ。世界で初めて空を飛ぶ人間になりたかった。世界史に名前を残したかった。そのために必死に研究をしてきた。それがすべて無駄になった。おれは名のない一市民として、数十年もすれば、まるで春先の雪のように消えてなくなる」
「困った坊やね」
 婦長は駄々っ子をあやすような顔になった。
「私の兄はねえ、上野で戦死したの。バカみたいでしょ? 負け戦と分かっているのに、徳川様に特段の御恩があるわけでもないのに、寛永寺に駆け込んで、なれない鉄砲を抱えて、挙句の果てに流れ弾に当たって死んだ。本当に無意味な人生だと思った
 けどねえ、そうした名のない市民の声や行動が、世の中を動かすエネルギーになったんじゃないかと、いまでは思うの。確かに兄は無駄に命を落とした。けど、兄のような馬鹿がたくさんいて、初めて時代が動いていくんだって」
「すると、おれは時代を動かす燃料みたいなものか」
「そうそう、ガソリンよ。有人動力飛行だって好事家が世界中で研究したことでそういう空気ができ、その空気の中でたまたまライト兄弟が一番最初に成功しただけ。ある意味では、ライト兄弟の成功も、辰野さんのおかげなのよ」
「しかし、直接には関係ない」
「関係なくない。空気は世界中につながっている。時代の空気は一人では作れない。まあ、辰野さんが本当に空気になるのはまだ早すぎるけどね」
 婦長はそれだけいうと、龍之介の肩に手を置き、次に室内の全員からタオルを回収して次の病室へと向かった。
 自分はこれからも空気に作り出す一員になれるのだろうか。時代を後押しする一人になれるのだろうか。
 龍之介は、それを確かめるために、もう少し生きたいと願うようになった。
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【短編】齊藤想『冬の手品師』 [自作ショートショート]

14年前に「ゆきのまち幻想文学賞」に応募した作品です。
いやはや、なつかしい。

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『冬の手品師』 齊藤想

 多香子は、高校の校門を出たところで、頬に冷たい物が当たるのに気がついた。空を見上げると、灰色の空に白い粒がちらつき始めている。初雪だ。
 処女雪を頬で受け止めるていると、多香子は右手を強く引かれるのを感じた。クラスメイトの理奈だ。
「ね、ね、初雪だよ。今日は冬の魔法使いがやってくる日だよ。去年の初雪の日に約束したから、絶対にいるはずだよ」
 この町には、初雪の日にだけ現れる謎の手品師がいる。それを、理奈は魔法使いと信じている。もちろん、魔法と信じているのは理奈だけだ。
「あれは魔法じゃなくて手品なの。理奈は、クリスマスになると、いまだにわくわくしながら枕元に靴下をぶら下げるひとでしょ」
「別にワクワクしたっていいじゃない。多香子がなんと言おうと、あの人は手品じゃなくて魔法なの。じゃあ、先に行くから」
「ちょっと待ってよ!」
 理奈は多香子の手を離すと、一気に走り始めた。理奈は陸上部で短距離の選手だ。あの猛練習は、この日のためではないかと思うほど早い。多香子は呆れながら、自分のペースで理奈の後を追いかけた。
 多香子が駅前の広場に到着すると、いつもの手品師は、手品の準備をしているところだった。道行く人がコートの中で縮こまって歩いているのに、彼はしわ一つ無い燕尾服を着こなし、背筋を伸ばして黙々とテーブルを組み立てている。すでに陽は大きく傾き、うっすらと雪が積もり始めている。
 ようやく、多香子の息が整った。
「いくらなんでも、そこまで本気をだすことはないじゃない」
 多香子も運動部だ。だが、足の速さでは理奈にかなわない。
「ごめんごめん。後であったかい飲み物おごってあげるから」
「面白くなかったら缶ジュース二本ね。コーヒーにココア」
「了解!」
 口を尖らす多香子に、理奈は元気な敬礼で返した。
 手品の準備ができたようだ。手品師は組み立てたばかりのテーブルの前で、深いお辞儀をした。観客は、スーツを着た男性や大学生風のカップルなど、二十人ほどに膨れ上がっている。
 燕尾服の紳士は周囲をゆっくりと見渡すと、両手を薄暗くなった空にそっと持ち上げた。白い手袋をはめた指が交差した瞬間に、どこからともなくカードが現れた。バネのような指先でカードを弾くと、そのたびに新しいカードが現れては宙を舞う。背景の模様に雪の結晶をかたどったあの人独自のカードだ。不思議なことに、このカードはいつの間にかに消えてしまう。これも、理奈が彼を魔法使いと信じる理由の一つだ。
 手品師は観客の反応を楽しむように見回すと、今度は机から握り拳大の氷を取り出した。彼が力をこめて手をかざすと、氷は豆の木が成長するかのように伸びていく。杖ほどの高さになったところで彼が手を伸ばすと、その透明な塊は氷であることを証明するかのように凍りついたアスファルトの上でくだけた。
「みてみて、本当にすごいでしょ」
「こんなの簡単なトリックよ。カードは隙を見て裾やポケットから取り出して手の甲に隠し、あとは手を振るタイミングに合わせて観客に見せているだけ。氷が大きくなるのも、角度を変えれば簡単よ。あの机が丁度良い目隠しになっているの。なぜ、彼が手や腕を大げさに動かしたりする必要があるのか分かる? 一瞬の不自然な動作を隠すためのカモフラージュなの。あの手袋だって、手を大きくするための道具なのよ」
「それじゃあ、なぜ飛ばしたカードがなくなるの? なぜあの人が手を伸ばしただけで氷が砕けるの?」
「それは……何か仕掛けがあるのよ」
 その言葉を聞いた理奈が、勝ち誇ったように胸を張る。
「分からないのなら黙ってみてなさいよ。素直に魔法を楽しみなさい」
「私は理奈に付き合っているだけだもん」
 多香子はコートの襟を立て、亀のように首を隠した。二人の会話が聞こえたのか、手品師は理奈と多香子に軽くウインクをすると、繊細な指で袖口をつまんで肘まで捲り上げ、手袋も燕尾服にしまいこんだ。彼の腕はガラスのように白く、子供のように細かった。
 手品師は手のひらの美しさを自慢するように両手を観客に見せると、そのまま手のひらを合わせて口元で拝むような仕草をした。そして軽く手を膨らませると、指の隙間から白い粒があふれ出した。それは、点灯したばかりの外灯の光を反射して滝のように輝き、どことなく驚きの声が上がった。まさに魔法だった。彼が両手を空に突き上げると、残りの白い粉が勢いよく飛び散る。多香子が白い粒を受け取ると、ひんやりとした感触と共に水に戻った。
「見てみて! これは雪の結晶よ。多香子もこんな手品みたことないでしょ」
 多香子はしばらく目を丸くしていたが、おもむろに口を開いた。
「今度こそネタが分かったわ。あの人の口元を見なさいよ。こんなに寒いのに、息が白くなっていないじゃない。これは映画なんかでよく使われるテクニックなんだけど、冷たいものを口に含むと息が白くならないの。これこそ、口の中に雪を隠している証拠よ」
 理奈は多香子の袖を引いた。
「いくらなんでもそれは無理じゃないの。唾液で溶けちゃうわよ」
「それくらい何か道具を使えば防げるわよ」
 理奈は黙り込んだ。理奈も口元で拝む仕草に不自然さを感じていたのかもしれない。多香子はようやく勝った、と思いながら、同時に悲しくなった。いった私は何をしているのだろうか。誰のために、何のために、戦っているのだろうか。
 手品師は、両手を広げたまま、観客の反応を確かめていた。人壁の中で違う雰囲気を感じたのか、多香子と理奈の前で視線が止まった。彼は理奈を見ると、少し眉をひそめて悲しそうな顔をした。理奈は制服を包むコートの裾を両手で閉じた。その姿を見た多香子は、激しい後悔に襲われた。自分が理奈の夢を壊したのだ。
 彼は、頭が地面につくほど深いお辞儀をした。
「次が最後の手品になります」
 多香子は初めて彼の声を聞いた。冷え切った空気に合う、高くて澄んだ声だった。
 手品師は上着を脱ぐと、肩口を持って顔を隠すように掲げた。そのまま上下させて仰ぐと、彼が雪雲になったかのように、際限なく白い結晶が飛び出してきた。雪の帯が燕尾服の紳士を中心に広がっていき、それは瞬く間に観客達を飲み込んでいく。
 多香子は目を丸くした。理奈も呆然としている。観客から自然と上がった歓声が彼を包み、その中に二人の声も含まれていた。
 彼は上着で仰ぐ速度を増していった。風が粉雪を吸い上げ、桜吹雪のように散らす。
「それ!」
 手品師の掛け声が響き渡るのと同時に、上着が宙を舞った。後には何も残らなかった。

 多香子は目の前で起きたことが信じられず、今まで人間が立っていたはずの場所に駆け寄った。多香子は観客達に聞いてみたが、全員が首を横にふった。もしかして地面に隠れているのかと思い、つま先でアスファルトを叩いてみた。もちろん、ただのアスファルトだった。彼が投げ捨てた上着も、あったはずの机も、忽然と消えていた。多香子は理奈に何度も手品のタネを聞かれたが、ひとつも答えることができなかった。
 
 次の日、登校前に多香子は寄り道をして、冬の魔法使いがいた広場に向かった。同じ事を考えていたのか、先客として理奈がいた。すでに雪は溶け、地面が濡れた跡すら残っていない。
「やっぱり魔法だったでしょ?」
 理奈はそう言った。その言葉を聴いた瞬間、多香子は胃から鉛が抜け出たような安堵感に包まれた。
「それにしても不思議だなあ。まさか地面に隠れるわけないし、上着を上下させるところに秘密があることは分かっているけど」
 多香子はいつもの強がりを言った。けど、これが単なる強がりであることは理奈も理解している。雲ひとつ無い青空で、雪は降りそうに無い。
「きっとあの人は雪の化身だったのよ。だからいくらでも雪を出せるし、息も白くならない。最後の魔法だって、あの人は雪に戻っただけなんだわ」
 多香子はお腹を抱えて笑った。理奈の幼稚さを嘲る笑いではない。心から嬉しいのだ。
「理奈はすぐ夢を見るんだから。もっとも、それが理奈のいいところなんだけどね」
 多香子はお姉さんのように理奈のおでこを小突いて、理奈の腕を引く。
「こんなところでぼやぼやしていると遅刻するよ。宿題は来年に持ち越しだね」
 多香子は理奈の腕を引いた。今年はあと何回雪が降るだろうか。たくさん降ればいいな。幼い頃と比べてめっきり雪が降る回数の減った冬空を見ながら、多香子はそう願った。

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【掌編】齊藤想『天使のスモモ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第47回)に応募した作品です。
テーマは「スモモ」でした。

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『天使のスモモ』

 私がまだ小学校低学年のころ、週末は家族で郊外にある祖父母の自宅に通っていた。
 両親は小規模な土木業を営んでいたが、業界に不況の波が押し寄せて仕事がなく、果樹園を営んでいる祖父母の手伝いをして家計の足しにしていた。
 家族が収穫に出かけると、私は遊び相手もなく、ひとり縁側で人形遊びをしていた。そうしたら、ある日、ガキ大将風の男の子が、ひょっこり顔を出してきた。
「お前、誰だ」
 その丸坊主の男の子は、まるで咎めたてるように言い立てた。私は憤慨するのと多少の恐怖で無視をしていたが、男の子は平気で庭に足を踏み入れ、近づいてくる。
「勝手に入ってこないで」
 祖父の家はひどく開放的で、庭と畑の境目がない。入るのも出るのも自由だ。男の子は叱責されても動じるそぶりがない。
「都会のもんか」
「教えてあげない」
 男の子は、ふん、といった表情をした。そして、突如として高橋と名乗った。
「スモモを食わないか」
 そういって、庭先にある祖父のスモモの木を指さした。
「あんたねえ、ひとの家に勝手に入ってきて、何を言い出すのよ」
 失礼な子だ。本当に不愉快だ。だが、その一方で、この男の子に興味を覚えてきたのも事実だった。汚いシャツに半ズボン。いつ散髪にいったのか分からない頭。都会に存在しない野生児そのものだった。
「スモモなんて、たくさん食べているわよ。おじいちゃんはスモモ農家なのよ」
 男の子は首を横に振った。
「売り物のスモモではなく、この庭に生えているスモモだ。なにせ、このスモモは特別だからな」
 野生児はケタケタと笑った。なぜ、そのことを知っているのだろうか。祖父は「このスモモは天使様のものだから」と言って、決して家族に振舞おうとはしない。
「この木はずいぶんと大切にされているみたいだなあ。剪定だって、肥料だって。古ぼけた木なのに」
 果樹園のスモモと比べると、老木で、樹勢が衰えていることは素人目にも理解できる。それでも、祖父が大切にしている木をバカにされると、怒りがこみ上げてくる。
「都会もんは、さぞかし旨い実がなるんだろうなあ、とか思っているだろ」
「おいしいに決まっているじゃない。これは天使様のものなんだから」
「その祖父の言うテンシは一粒も分けてくれないのか。ずいぶんとケチなテンシだなあ」
「そんなことない。これ以上、おじいちゃんを悪く言ったら許さない」
「おお怖い、怖い」
 男の子はおどけた。
「そんなに食べたいなら、勝手に食べればいいじゃない。その代わり、おじいちゃんに怒られてもしらないから」
「ひとりで食べたくないんだよなあ」
 男の子は急にはにかんだ。表情のあまりの急転に思わず噴き出してしまう。ペースに引き込まれていると思いながらも、ついつい心を許してしまう自分がいた。それに、前々から庭先のスモモに興味があったのも事実だ。
「二つぐらいなら分からないかなあ」
「たぶん、な」
 その一言で、私の気持ちは決まった。手の届く位置にあるスモモを二つもぎ取ると、男の子と一緒に食べた。男の子が言うように、酸っぱくて、お世辞にも美味しいとは言えなかった。祖父がなぜこのスモモを大切にしているのか、またその男の子がなぜこのスモモを食べたがったのか理解できなかった。
 スモモを食べると満足したのか、男の子は「じゃあな」と立ち去った。もちろん、祖父に見つかり、私はこっぴどく怒られた。

 それから数十年がたった。
 何気なく新聞を眺めていたら、そのときの男の子が過激な政治活動中に逮捕されたとの記事を発見した。その瞬間、すべての疑問が雪のように解けていった。
 祖父が言う「天使様」は、実は「天子様」、つまり天皇陛下のことだったのだ。
 祖父の庭にあったスモモは品種改良前の希少種で、献上品だったのだろう。男の子は既存の権威に反発する気持ちがあり、貴重なスモモを食べることで、溜飲を下げたのだ。いまから思うと他愛のない児戯だが、その子にしたら偉大なる冒険だったに違いない。
 あの野生児は、中年を過ぎても、野生児そのままだった。
 今年もスモモの季節がやってきた。
 あの日食べたスモモは、二度と味わっていない。

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【SS】齊藤想『隣の芝生は青い』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第46回)に応募した作品です。
テーマは「鏡」でした。

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『隣の芝生は青い』 齊藤想

「よう、元気か?」
 鏡の中の俺が声をかけてきた。ほほの肉は削げ落ち、目の周りには隈が這う表情は自分そのものだ。左手を上げれば鏡の中の自分も左手を上げるし、笑顔を作れば笑う。見た目は普通の鏡なのに、声だけが聞こえてくる。
「そんなことないぜ。お前はいたって正常だ」
 鏡の中の自分が、口を結んだままケタケタと笑う。精神の破滅が近いらしい。そう思いながら、奴隷のように職場へと向う。
 俺の会社はブラック企業として有名だ。土日出勤徹夜勤務は当たり前で、昨晩帰宅したのは一週間ぶりだ。
 上司の口癖は「仕事があるのは幸せなことだ」である。
 仕事をどんどん取るのに人は取らない。二十代前半で課長になれるが、裏返せば三十代まで体がもつ人間はほとんどいない。
 ひといきつけるのは、同僚と営業周りをするときぐらいだ。外出中も一時間ごとに報告が義務付けられているので、完全に安心ができるわけではない。
「最近なんだけど」と俺は営業車から降りると同僚に昨日のことを話した。車内はドライブレコーダーが回っているので、余計なことを口にできない。
「まだ、そんな段階か」
 同期は俺の悩みを笑い飛ばした。
「鏡の中の自分と会話を交わすなんてまだまだ甘い。早く入れ替わらないと、頭がおかしくなるぞ」
 話を聞く限りだと、同期の方が頭がおかしくなっているように思うが。
 俺の疑念を感じたのか、同期は人差し指を横に振った。
「鏡の自分と入れ替わるのはいいぞ。おれなんて現実世界に出てくるのは週一だから、こんなに元気というわけだ。あ、ちなみに今日は本物の田中だから安心してくれ」
 同期は鏡の中の自分と入れ替わる呪文を教えてくれた。会話ができるようになれば、壁を越えるのはあと少しだという。
 どうにも信じられない。そう思いながらも、気がついたら呪文をメモしていた。

「たまにはゆっくり休め」
 鏡の中の俺は、意気揚々と自宅を出た。鏡の中は意外と快適で、鏡だから当たり前かもしれないが、左右が逆であること以外は同じだった。好きなだけベッドで寝ることができるし、テレビを見ながらごろ寝もし放題。
 田中があんなに元気なのは、鏡の中で休んでいるからだと納得した。
 試しに家の外に出てみたら、左右が逆であること以外は現実世界と同じだった。空は快晴で、すがすがしい気持ちになる。
 十分に休んだところで、鏡の自分が戻ってきた。目に隈ができ、疲れた顔をしている。
「お前、よくこんな職場に耐えられるな」
「まあな」と休養十分の俺は余裕で答える。
「明日は変わってくれ。もう無理だ。鏡の世界に帰りたい」
「仕方がないなあ」
 俺は王様の気分だった。
 
 こうして、日替わりで現実と鏡の世界を行き来する日々が始まった。鏡の世界にも飽きてきたところで、試しに職場に向かったところ、いつもの上司も田中もいた。
「近頃、サボリ癖がついてきているじゃないか。今日は働いてもらうぞ」
「おいおい、ちょっと待て」
「なんだと、上司に口答えするのか」
 俺は首根っこをつかまれ、むりやりデスクに座らされた。明日もサボったら一晩中電話するぞ、との脅し文句とともに。

「今日は現実世界に戻させてくれ」
 俺は鏡の自分に懇願した。
「だいぶ慣れてきたのになあ。ずっと、こっちの世界にいてもいいぜ」
 鏡の中の俺は、ずいぶんと余裕をかましている。少しイラつく。
「お互いに元の世界に戻るだけだろ。何が問題あるんだ」
「はいはい、分かりましたよ」
 俺は現実世界に戻った。だが、やっぱり上司がいて調子の良い田中がいて、おまけに「近頃、サボリ癖がついてきているじゃないか」と脅された。慌てて鏡の世界に戻る。 

 あるとき、俺は思った。隣の芝生は青いというが、鏡の中と外も同じことなのかもしれない。
 それにしても、今日の俺がいるのは鏡の中の世界だろうか、それとも現実の世界だろうか。
 入れ替わりすぎて、俺には判断できなくなっていた。
 
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【掌編】齊藤想『年輪』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第45回)に応募した作品です。
テーマは「カレンダー」でした。

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『年輪』 齊藤想

 土曜日の朝、哲人は柱にぶら下げてあったカレンダーをめくった。赤二重丸が書かれていた日が消えていく。
 哲人はため息をついた。孤独なまま、またひとつ年を取る。
 哲人は社会人になってから、同じアパートで独居を続けている。独り身が好きなわけでも、この古アパートが気に入っているわけでもない。本音を言えばすてきな伴侶を見つけて新婚生活を味わいたい。ただ、その機会が無いだけだ。
 哲人には明確な女性の好みがある。年上の女性だ。ただ、哲人が気に入った女性たちはことごとく既婚者だった。
 すてきな女性というのは男性からのアプローチが絶えないわけで、しかも年上となればすでに相手が決まっていて当然だ。
 しかたなく、哲人は官能小説やアダルトビデオで憂さを晴らしていた。最近はインターネットやスマホで露骨な画像や動画が見られるので重宝している。
 今日は休日だ。頭の中にエッチな妄想を広げながら朝のコーヒーを飲み干すと、最近購入したばかりの流行のスニーカーを履き、近隣の公園まで散歩に出かけることにした。
 この地域は高度成長期に集合住宅が乱立したが、老朽化とともに取り壊され、再開発が現在進行形で進んでいる。アパートは高層マンションに生まれ変わり、立体化したことで生じた余地には総合病院や大資本スーパーマーケットが進出し、それでも余ると行政は広い公園を設置してお茶を濁した。
 哲人が公園にたどり着くと、まず大きくストレッチをする。次にめがねを掛けて周囲を見渡す。哲人が公園に行く表向きの理由は健康維持のためだが、本音は新しい出会いを見つけるためである。
 公園内部をくまなく観察すると独り者らしい女性がベンチに座って遠くを見ていた。本人にとって重い、他人にとってはどうでもよい不幸が起こったのかもしれない。
 これはチャンスだ。哲人は「NPO法人 ティーチ・アンド・トーキングの会 代表」という名刺を持ち歩いている。どんな会でもNPOをつけると信頼度が増すのが不思議だ。もちろん、このアルファベット三文字はインクジェットプリンタで印刷しただけで、実態はない。
 哲人は新しい出会いに胸をときめかせながら、女性の隣りに座った。
「どうされましたか」
 そう言いながら、二本指で名刺を挟んで彼女に渡す。彼女と目が合う。
「あのー」と女性が間延びした声を出す。これは失敗だ、と哲人は直感した。だが、引き返せない。妄想にとりつかれている彼女の話を最後まで聞くことになり、さらには自宅まで丁重に送り届けるはめになった。
 健康には良いかもしれないが、精神衛生上はよろしくない。おそらくは年下だろう。まだ若いのに可愛そうに、と同情した。
 公園以外にも出会いの場所はある。最近のお気に入りは公民館だ。公民館では様々なイベントが開かれていて、中には非会員であっても参加できる企画もある。イベントに直接参加しなくても、終了後の高揚感にうまく入り込めば、お茶に誘うことだって可能だ。
 土曜日は公園で失敗したので、日曜日は公民館に出かけることにした。地元サークルが主催する映画鑑賞会があり、時間をもてあましている婦人方が集まっている。
 哲人はまあまあの有名人である。ここでは例の名刺は必要がない。哲人には長年狙っている女性がいて、夫が最近死去したことも知っている。唯一の難点は、彼女が若すぎるということだけだ。だが、贅沢はいえない。
 彼女は人気者なので、とりまきの女性たちが座席を囲む。哲人は仕方なく離れた場所に座り、映画が終わるのを待ち続けた。実につまらない時間だ。
 映画が終わると、彼女は取り巻きたちとそそくさと公民館を出てしまった。またチャンスはあるだろう。
 実は哲人にはもうひとりあこがれの女性がいた。もちろん年上だ。だが、テレビ画面の中でしか知らない。高値の花、といったところだ。その彼女も、先日死去した。なぜ、自分が好きな女性は次々と世を去ってしまうのか。寂しさに胸が掻き毟られる。
 哲人がアパートに戻ると、すでにテレビ局の取材スタッフが待ち構えていた。予想はしていたが、あまりに早すぎる。
 若い女性レポーターは心の痛みなど眼中にない様子で、哲人にマイクを突きつけた。
「先日、翁長キンさんが亡くなられたことにより、尾浜哲人さんが日本最高齢となったわけですが、いまの感想はいかがですか?」
 哲人は「くそ食らえだ」と吐き捨てた。

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【掌編】齊藤想『ピンとキリ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第44回)に応募した作品です。
テーマは「ピン」でした。

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『ピンとキリ』 齊藤想
 
 杉本は同期である石田と、若手漫才コンビ「ピンとキリ」を組んでいる。漫才師としては駆け出しだが、相方である石田がときおりTVに登場するようになったこともあり、杉本には徐々に注目度が増している実感があった。
 「ピンとキリ」が小さな地方公民館で漫才を披露して舞台の袖に戻ると、いつもは現場にこないマージャーが、満面の笑みで二人を待ち構えていた。
 相方の石田は少しモジモジとしている。杉本は嫌な予感がした。空調が足りず、額から汗を掻いているマネージャーが、いかにも期待しているといった感じで石田の肩を大げさに叩いた。
「今日から君はピンだ」
 とまどう杉本に対しては、マネージャーはおざなりに左肩に触れただけだった。
「ということで、杉本君は単なるキリだ」
「それはどういう意味ですか」
 半分以上は石田に向けて投げかけたのだが、答えたのはマネージャーだった。
「決まっているじゃないか。”ピンとキリ”は本日をもって解散し、お互いにピン芸人の道を歩むのだ。ピンだった石田はピンとして、キリだった杉本はキリとして活動してもらう。ピン芸人のピンなんて、面白いじゃないか」
「ちょっと」と杉本は抗議したが、無駄であることは、相方の表情を見て悟った。人気が出てからのコンビ解消はともかく、名前が売れる前にそれぞれの道を歩むなんて、捨てられるにしても情けなさすぎる。
 確かにネタを作るのも人気も石田だ。事務所としても、限られた仕事と稼ぎを分配するのに、実力も将来性もないタレントは邪魔なのだろう。マネージャーの脂ぎった顔を通じて、社長の本音がにじみ出る。
「ピンとキリがどちらが上なんて、まあ、あってないようなものだ。この言葉はずいぶんと歴史があって、室町時代はキリが上でピンが下だった。それが逆転したのは江戸時代のことだ。それから昭和になって、”いろいろな”、という意味が加わった。これから二人が活躍すれば、ピンキリに新しい意味が加わるかもしれない。うん、そうだ。君たちならできる。二人の力で辞書を書き換えてくれたまえ。わっはっは」
 マネージャーの作られた笑い声が、杉本には不愉快だった。

 杉本がアパートに帰ると、彼女である加藤詩織がとんかつを揚げていた。将来は結婚を意識しているが、まだ彼女を養えるだけの甲斐性はない。それどころか、貿易事務で働いている詩織に食べさせてもらっている。
「今日のライブはどうだった?」
 一枚目のとんかつが揚った。とんかつを挟んだ箸の隙間から、新鮮な油がゆっくりと鍋に落ちていく。
「まあまあ、かなあ」
 杉本はあいまいに返答した。実質的に首宣告されたなんて、口に出せない。
 再び台所からは油のはねる音が聞こえてくる。しばらく無言。二枚目のとんかつも完成。テーブルに料理が並べられる。なんとなく重苦しい食卓。
「私ねえ」と詩織が口を開く。「仕事辞めようなあ」
 最悪だ、と杉本は思った。このままだと二人で無職だ。結婚どころから明日の生活費すらままならない。だが、自分の夢のために、いつまでも詩織に甘えてもよいか。杉本はとんかつの脂をかみしめながら葛藤した。
 芸人は才能の世界だ。いくら頑張っても、ダメな芸人はダメなのだ。所詮、キリはキリだ。芸人生活はもう潮時ではないのか。
「この豚肉、とっても安いの。ピンキリだったらキリの方。だけど、とってもおいしいと思わない?」
 杉本はうなずく。マネージャーのうんちくが頭をよぎる。
「どっちがピンでどっちがキリだなんて、だれが決めるのかしらね。キリならキリでいいじゃない。私は職場ではキリだけど、独立して会社を興そうと思うの。比べるひとがいかなくなれば、ピンもキリもないからね」
 詩織は杉本のことを親よりも理解している。芸人としての実力も、将来性も。その上で、呼びかけているのだ。
「おれ、芸人から足を洗って手伝うよ」
 キリの語源は大正かるただが、キリは王様を意味する。キリだから社長になるのは、ある意味で正しい。
 しかし、詩織は小さく首を横に振った。
「直幸はそのままでいいの。芸人として頑張ってくれたら。その代わり、いつか、わが社の広告に格安で出演してね」
 杉本はとんかつの最後のひときれをかみしめた。
 何よりも大切なひとのために、自分は何をすべきなのか。
 杉本は石田とマネージャーの顔を思い浮かべながら、思考の海に引き込まれた。

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【SS】齊藤想『防犯コンサルタント』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第43回)に応募した作品です。
テーマは「商売」でした。

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『防犯コンサルタント』 齊藤想

 防犯コンサルタントは稼げそうで、稼げない。なにしろ、相談ばかりで、いざ設備投資となったら大きい契約は全て大手メーカーに持っていかれてしまう。
 特に個人営業の小さな会社はそうだ。顧客は事前相談だけで逃げてしまう。日本人は専門知識に敬意を払うことはあっても、なかなか金は払わない。そういう文化だと知っていても割り切れない。
 この前もそうだ。ピッキングが不安になり相談に来た客がいた。自宅写真を何枚か見せられたが、そのそもピッキング以前に窓枠が弱すぎると指摘した。
 頑丈に見える格子窓は、実はドイバー一本で簡単に外せる構造だし、曇りガラスは強そうに見えて脆い。しかも奥まった位置にあるので道路からも近所からも見えない。窓を小さく割って内部のシリンダー錠を跳ね上げれば、簡単に侵入できてしまう。
 私は客に早急な対策をとるようアドバイスをしたのだが、残念ながら間に合わなかったようだ。数日後に、写真で見たのと同じ家が、泥棒にやられたというニュースが流れてきた。大きな会社なら即座に工事ができたのにと、残念に思う。
 また、このようなこともあった。おとなしそうな淑女が相談に来た。高級マンションの購入を考えているが、セキュリティーが気になるという。
 近年は物騒な事件が多いので、淑女の心配ももっともなことだ。私は親身になって相談に乗ることにした。
 淑女は真剣に検討しているようで、様々な資料を持参してきた。
 私は慎重に話を聞き、図面を見て、結論を下した。これではまったくダメです。
 エントランスはインターホン式オートロックシステムとなっているが、別の住民が入るときに同時に入れば何ら障壁とはならない。常駐の管理人室があるといっても、大型マンションなので、全員の住民の顔を覚えられるわけがない。問い詰められても友人と名乗ればそれまでだ。
 しかも、淑女が購入を検討している最上階は、防犯面からすると地上階の次に弱い。各部屋のドアは様々な対策が練られていて、ピッキング、破壊、サムターン回しの全てに耐性がありそうだ。しかし、屋上がらベランダに降りて、そこから窓ガラスを割って侵入されたら終わりだ。
 ほとんどのマンションは、屋上に続く扉にまで厳重な対策はされていない。淑女が購入を検討しているマンションもその例に漏れなかった。
 屋上に続く扉の鍵の写真を見たところ、一分もあれば開けられそうな簡易な錠しかついてい。メンテナンスをしているふりをすれば、ピッキングの現場を見つかっても気づかれることはないだろう。
 購入をとどまるようアドバイスしたのだが、残念なことに、淑女は私の話を信じなかったようだ。
 私が指摘したのと同じ手口で、淑女が購入したマンションが泥棒にやられたという噂を聞いた。マンション会社が私を雇ってくれたら、より強固な防犯対策を取ることができるのに、防げる犯罪を遠くから傍観するしかないのは地団太を踏むほど悔しい。
 個人営業では鍵の販売や設置、各種防犯グッズの販売しかできない。防犯ベルなど気休めにしか過ぎない。だが、これらの小物が私の生活を支えていると思うとないがしろにもできない。理想と現実のギャップに、忸怩たる思いは募るばかりだ。
 つい最近も、このような出来事もあった。
 ある紳士から、ピッキングに強いテンプルキーを3つも付けた自慢の扉を見て欲しいという依頼があった。見た目は普通のマンションだが、中には大事な骨董品が置かれているという。「木を隠すなら森の中」ということらしい。
 確かに鍵が3つもあれば丈夫そうだが、最近はバンピングという特殊な不正解錠の方法がある。これは特殊な工具を使い、鍵内部に振動を与えることで内部のシリンダーを揃え、解錠してしまうのだ。
 紳士の扉の鍵は、バンピング対策が取られていなかった。
 私は危険性を訴えたが、紳士は信じなかった。仕方がないので、実際に同じ店にある見本の鍵をバンピングで解錠させてみせた。紳士は口をあんぐりと開けていたが、どうやら鍵の交換はしなかったようだ。ほどなくして、あるマンションから骨董品が大量に盗まれたというニュースが流れてきた。テレビ映像を見る限りだと、私が危惧したとおり、バンピングでやられたようだ。

 それにしても、ここ最近、不思議なことがふたつある。
 まったく稼ぎにならないのに相談客ばかり次から次へとやってくることと、ときおりポストに宛先人不明の小額の謝礼金が投げ込まれることと。

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【掌編】齊藤想『レンタル和尚』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第42回)に応募した作品です。
テーマは「彼岸」でした。

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『レンタル和尚』 齊藤想

 暦の上では秋なのに、残暑が厳しいな、と慶念は思った。「暑さ寒さも彼岸まで」という諺は地球温暖化が進んだ今日では通用しない。9月も後半になろうというのに生き残っているセミが、やかましく鳴き続けている。
「このたびは本当にありがとうございます」
 和服を着た淑女が丁寧にお辞儀をした。年頃は八十手前ぐらだろうか。白髪が下げながら、奥ゆかしくお布施を差し出してくる。慶念は夏用の袈裟を身にまとっているが、それでも全身から汗が噴き出してくる。早く車に戻って、冷房を全開にしたかった。
 慶念は定額制のレンタル和尚だ。依頼者が金額に後ろめたさを感じる必要はない。予約もインターネット。顔を合わせるのは法要の最中のみ。慶念は仕事として、和尚を選択した。それ以上でもそれ以下でもない。
「これはどうもありがとうございます」
 慶念は両手を合わせ、宗教家らしい仕草を見せながら、お布施をいただく。これも仕事のひとつだ。
「ところで慶念さん」
 お膳の招待だろう。慶念は断ることにしている。そのことはHPでも明記している。「依頼者のご負担を……」とかもっともらしいことを書いているが、本当の理由は数をこなしたいからだ。あらゆる分野に価格破壊が進んだ現代社会では、法要も数をこなさなくては稼げない。人間は裏切るが銀行預金は裏切らない。それが慶念の信念であり、哲学であった。
 もちろん、この薄利多売は同業者の恨みを買った。「金に汚い」「守銭奴」「生臭坊主」などつけられたあだ名は数知れない。もはや自分の異名がいくつあるか数えきれない。どの坊主も口では立派なことを言っていても、ひとかわ剥けば欲にまみれた同じ人間なのだ。
「お心遣いはありがたいのですが、次がありますので」
 慶念はいつもの切り口上を述べながら、車のキーを懐からだす。日差しの厳しい玄関先で会話を交わすのは極力避けたい。そう思っていたが、依頼者は一方的に会話を続ける。
「ところで、慶念さんは真厳さんのご子息様ですよね」
 慶念の体に錐のような電気が走った。HPには経歴を一切書いていない。それなのに、なぜ、その名前を知っている。
「真厳さんはたくさんの借金を背負われて、残念なことになったと聞いています。なにしろ、弟子がこさえた借金を肩代わりなさり、大変苦しまれたと」
 慶念はだまってうつむいた。様々な記憶が蘇る。大きく首を振った。
「その名前は知りません。人違いでしょう」
「そうですか」依頼人は残念そうに首を横に振った。「失礼なことを申しました。いま私が話したことは忘れてください」
「そうします」
 慶念は軽自動車に乗り込んだ。残り僅かな人生を楽しむセミたちは、ますます盛んに鳴き続けていた。

 慶念の自宅はアパートの一室だ。寺は持っていないし、必要もない。法具を脱ぎ去ると、メールを開き、仕事の依頼をチェックする。山のような誹謗中傷にはもう慣れた。ゴミの山のような受信箱から、探していたメールを拾い上げる。
「まだ生きています」
 月1回の定期報告だ。真厳らしく、完結で、必要最低限の言葉しかない。
 師匠の借金を返し終わるまであと少し。
 真厳はカジノにはまり、借金を重ねたあげく「弟子の借金を背負った」と嘘をついて逐電した。残された家族は寺を売り、家を売り、無一文になって路頭に迷った。借金取りは弟子の慶念のもとに押しかけ、慶念は師匠の養子になっていたこともあり、子供の義務だと割り切って払い続けている。
 坊主だって失敗するし、後悔もする。だからひとを許せる。過去を水に流せる。慶念だって、パチンコで身を崩し、無一文で路頭を迷っていたとき真厳に拾われたのだ。師匠から最低限の教育を受けたおかげで、こうして和尚として生活できている。
 坊主だって人間なのだ。助け、助けられて生きている。
 今日はお彼岸だ。実は師匠はすでに死んでいて、あのメールは来世からの私信ではないか。そのようなことを、ふと慶念は思った。

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