So-net無料ブログ作成
自作ショートショート ブログトップ
前の10件 | -

【掌編】齊藤想『空の夢』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第48回)に応募した作品です。
テーマは「空」でした。

―――――

『空の夢』 齊藤 想

 病室の中央では、だるまストーブが煌々と炎を上げ続けていた。天板に乗せられホーロー製の薬缶が湯気を吹き、薄い窓ガラスに水滴をつける。
 水蒸気を取り込み、成長した雫が重力に負け始める。周囲の水粒を巻き込みながら体積を増し、最後は窓枠を濡らして消える。
「今日のご機嫌はいかがですか」
 安政生まれという小太りの婦長が、龍之介に声をかける。婦長の兄は彰義隊に参加し、上野の山で戦死したという。
「気分は悪くない」
 そう言うそばから、龍之介は咳き込む。口元から腐臭が漂う。匂いは日を追うごとに強くなっている。もう長くない。自分の体は自分が一番良くわかる。
「じきに良くなりますよ。人生なんてものは、息を吸って吐いてなんぼのものですから」
 龍之介は直接答えず、顔を横に向ける。暗く沈み切った空気が、空の青さを際立たせている。
 こんな日に空を飛べたら、どれだけ気持ち良いだろうか。
「今日は特に青いな」
「空気が澄んでいるのは冬だからよ。それはそうと、辰野さんが好きそうなニュースを持ってきてあげたわ」
 龍之介は婦長が持ってきた新聞を開く。そこには大きく、亜米利加国でライト兄弟が世界で初めて有人動力飛行を成功させた記事が美文調で語られていた。
「少し先を越されたわね」
 婦長は年甲斐もなく、いたずら娘のようにささやく。龍之介も世界初を友人動力飛行の実現を目指して研究を進めてきた。ところが孟宗竹の骨組みに和紙を貼って作った大羽で滑空中に墜落し、胸部を強打。さらには肺炎にも侵された。
 入院中に世界初は奪われた。龍之介は新聞を婦長に返した。
「おれの人生は無駄に終わった」
 龍之介はうっすらと東西に伸びる筋雲を見上げた。スズメが雲の筋を直角に横切り、そのまま飛び去って行く。
「死ぬようなことを口にしたらダメですよ」
「そんなことを言っても、本当に死ぬのだから仕方がない。人間いつかは死ぬ。早く死ぬか、遅く死ぬかの違いにすぎぬ」
「どこかの誰かが言ったことを真似しても、心には響きませんよ。辰野さんの仕事は一日も早く体を治すことです。そのためには、まずは体を清潔に保つことです」
 婦長はそう言いながら濡れタオルを渡してきた。龍之介はおっくうそうに顔を拭う。
「おれはねえ」と龍之介はこぼす。ついついこの婦長には本音を話したくなる。
「悔しいんだよ。世界で初めて空を飛ぶ人間になりたかった。世界史に名前を残したかった。そのために必死に研究をしてきた。それがすべて無駄になった。おれは名のない一市民として、数十年もすれば、まるで春先の雪のように消えてなくなる」
「困った坊やね」
 婦長は駄々っ子をあやすような顔になった。
「私の兄はねえ、上野で戦死したの。バカみたいでしょ? 負け戦と分かっているのに、徳川様に特段の御恩があるわけでもないのに、寛永寺に駆け込んで、なれない鉄砲を抱えて、挙句の果てに流れ弾に当たって死んだ。本当に無意味な人生だと思った
 けどねえ、そうした名のない市民の声や行動が、世の中を動かすエネルギーになったんじゃないかと、いまでは思うの。確かに兄は無駄に命を落とした。けど、兄のような馬鹿がたくさんいて、初めて時代が動いていくんだって」
「すると、おれは時代を動かす燃料みたいなものか」
「そうそう、ガソリンよ。有人動力飛行だって好事家が世界中で研究したことでそういう空気ができ、その空気の中でたまたまライト兄弟が一番最初に成功しただけ。ある意味では、ライト兄弟の成功も、辰野さんのおかげなのよ」
「しかし、直接には関係ない」
「関係なくない。空気は世界中につながっている。時代の空気は一人では作れない。まあ、辰野さんが本当に空気になるのはまだ早すぎるけどね」
 婦長はそれだけいうと、龍之介の肩に手を置き、次に室内の全員からタオルを回収して次の病室へと向かった。
 自分はこれからも空気に作り出す一員になれるのだろうか。時代を後押しする一人になれるのだろうか。
 龍之介は、それを確かめるために、もう少し生きたいと願うようになった。
―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

【短編】齊藤想『冬の手品師』 [自作ショートショート]

14年前に「ゆきのまち幻想文学賞」に応募した作品です。
いやはや、なつかしい。

―――――

『冬の手品師』 齊藤想

 多香子は、高校の校門を出たところで、頬に冷たい物が当たるのに気がついた。空を見上げると、灰色の空に白い粒がちらつき始めている。初雪だ。
 処女雪を頬で受け止めるていると、多香子は右手を強く引かれるのを感じた。クラスメイトの理奈だ。
「ね、ね、初雪だよ。今日は冬の魔法使いがやってくる日だよ。去年の初雪の日に約束したから、絶対にいるはずだよ」
 この町には、初雪の日にだけ現れる謎の手品師がいる。それを、理奈は魔法使いと信じている。もちろん、魔法と信じているのは理奈だけだ。
「あれは魔法じゃなくて手品なの。理奈は、クリスマスになると、いまだにわくわくしながら枕元に靴下をぶら下げるひとでしょ」
「別にワクワクしたっていいじゃない。多香子がなんと言おうと、あの人は手品じゃなくて魔法なの。じゃあ、先に行くから」
「ちょっと待ってよ!」
 理奈は多香子の手を離すと、一気に走り始めた。理奈は陸上部で短距離の選手だ。あの猛練習は、この日のためではないかと思うほど早い。多香子は呆れながら、自分のペースで理奈の後を追いかけた。
 多香子が駅前の広場に到着すると、いつもの手品師は、手品の準備をしているところだった。道行く人がコートの中で縮こまって歩いているのに、彼はしわ一つ無い燕尾服を着こなし、背筋を伸ばして黙々とテーブルを組み立てている。すでに陽は大きく傾き、うっすらと雪が積もり始めている。
 ようやく、多香子の息が整った。
「いくらなんでも、そこまで本気をだすことはないじゃない」
 多香子も運動部だ。だが、足の速さでは理奈にかなわない。
「ごめんごめん。後であったかい飲み物おごってあげるから」
「面白くなかったら缶ジュース二本ね。コーヒーにココア」
「了解!」
 口を尖らす多香子に、理奈は元気な敬礼で返した。
 手品の準備ができたようだ。手品師は組み立てたばかりのテーブルの前で、深いお辞儀をした。観客は、スーツを着た男性や大学生風のカップルなど、二十人ほどに膨れ上がっている。
 燕尾服の紳士は周囲をゆっくりと見渡すと、両手を薄暗くなった空にそっと持ち上げた。白い手袋をはめた指が交差した瞬間に、どこからともなくカードが現れた。バネのような指先でカードを弾くと、そのたびに新しいカードが現れては宙を舞う。背景の模様に雪の結晶をかたどったあの人独自のカードだ。不思議なことに、このカードはいつの間にかに消えてしまう。これも、理奈が彼を魔法使いと信じる理由の一つだ。
 手品師は観客の反応を楽しむように見回すと、今度は机から握り拳大の氷を取り出した。彼が力をこめて手をかざすと、氷は豆の木が成長するかのように伸びていく。杖ほどの高さになったところで彼が手を伸ばすと、その透明な塊は氷であることを証明するかのように凍りついたアスファルトの上でくだけた。
「みてみて、本当にすごいでしょ」
「こんなの簡単なトリックよ。カードは隙を見て裾やポケットから取り出して手の甲に隠し、あとは手を振るタイミングに合わせて観客に見せているだけ。氷が大きくなるのも、角度を変えれば簡単よ。あの机が丁度良い目隠しになっているの。なぜ、彼が手や腕を大げさに動かしたりする必要があるのか分かる? 一瞬の不自然な動作を隠すためのカモフラージュなの。あの手袋だって、手を大きくするための道具なのよ」
「それじゃあ、なぜ飛ばしたカードがなくなるの? なぜあの人が手を伸ばしただけで氷が砕けるの?」
「それは……何か仕掛けがあるのよ」
 その言葉を聞いた理奈が、勝ち誇ったように胸を張る。
「分からないのなら黙ってみてなさいよ。素直に魔法を楽しみなさい」
「私は理奈に付き合っているだけだもん」
 多香子はコートの襟を立て、亀のように首を隠した。二人の会話が聞こえたのか、手品師は理奈と多香子に軽くウインクをすると、繊細な指で袖口をつまんで肘まで捲り上げ、手袋も燕尾服にしまいこんだ。彼の腕はガラスのように白く、子供のように細かった。
 手品師は手のひらの美しさを自慢するように両手を観客に見せると、そのまま手のひらを合わせて口元で拝むような仕草をした。そして軽く手を膨らませると、指の隙間から白い粒があふれ出した。それは、点灯したばかりの外灯の光を反射して滝のように輝き、どことなく驚きの声が上がった。まさに魔法だった。彼が両手を空に突き上げると、残りの白い粉が勢いよく飛び散る。多香子が白い粒を受け取ると、ひんやりとした感触と共に水に戻った。
「見てみて! これは雪の結晶よ。多香子もこんな手品みたことないでしょ」
 多香子はしばらく目を丸くしていたが、おもむろに口を開いた。
「今度こそネタが分かったわ。あの人の口元を見なさいよ。こんなに寒いのに、息が白くなっていないじゃない。これは映画なんかでよく使われるテクニックなんだけど、冷たいものを口に含むと息が白くならないの。これこそ、口の中に雪を隠している証拠よ」
 理奈は多香子の袖を引いた。
「いくらなんでもそれは無理じゃないの。唾液で溶けちゃうわよ」
「それくらい何か道具を使えば防げるわよ」
 理奈は黙り込んだ。理奈も口元で拝む仕草に不自然さを感じていたのかもしれない。多香子はようやく勝った、と思いながら、同時に悲しくなった。いった私は何をしているのだろうか。誰のために、何のために、戦っているのだろうか。
 手品師は、両手を広げたまま、観客の反応を確かめていた。人壁の中で違う雰囲気を感じたのか、多香子と理奈の前で視線が止まった。彼は理奈を見ると、少し眉をひそめて悲しそうな顔をした。理奈は制服を包むコートの裾を両手で閉じた。その姿を見た多香子は、激しい後悔に襲われた。自分が理奈の夢を壊したのだ。
 彼は、頭が地面につくほど深いお辞儀をした。
「次が最後の手品になります」
 多香子は初めて彼の声を聞いた。冷え切った空気に合う、高くて澄んだ声だった。
 手品師は上着を脱ぐと、肩口を持って顔を隠すように掲げた。そのまま上下させて仰ぐと、彼が雪雲になったかのように、際限なく白い結晶が飛び出してきた。雪の帯が燕尾服の紳士を中心に広がっていき、それは瞬く間に観客達を飲み込んでいく。
 多香子は目を丸くした。理奈も呆然としている。観客から自然と上がった歓声が彼を包み、その中に二人の声も含まれていた。
 彼は上着で仰ぐ速度を増していった。風が粉雪を吸い上げ、桜吹雪のように散らす。
「それ!」
 手品師の掛け声が響き渡るのと同時に、上着が宙を舞った。後には何も残らなかった。

 多香子は目の前で起きたことが信じられず、今まで人間が立っていたはずの場所に駆け寄った。多香子は観客達に聞いてみたが、全員が首を横にふった。もしかして地面に隠れているのかと思い、つま先でアスファルトを叩いてみた。もちろん、ただのアスファルトだった。彼が投げ捨てた上着も、あったはずの机も、忽然と消えていた。多香子は理奈に何度も手品のタネを聞かれたが、ひとつも答えることができなかった。
 
 次の日、登校前に多香子は寄り道をして、冬の魔法使いがいた広場に向かった。同じ事を考えていたのか、先客として理奈がいた。すでに雪は溶け、地面が濡れた跡すら残っていない。
「やっぱり魔法だったでしょ?」
 理奈はそう言った。その言葉を聴いた瞬間、多香子は胃から鉛が抜け出たような安堵感に包まれた。
「それにしても不思議だなあ。まさか地面に隠れるわけないし、上着を上下させるところに秘密があることは分かっているけど」
 多香子はいつもの強がりを言った。けど、これが単なる強がりであることは理奈も理解している。雲ひとつ無い青空で、雪は降りそうに無い。
「きっとあの人は雪の化身だったのよ。だからいくらでも雪を出せるし、息も白くならない。最後の魔法だって、あの人は雪に戻っただけなんだわ」
 多香子はお腹を抱えて笑った。理奈の幼稚さを嘲る笑いではない。心から嬉しいのだ。
「理奈はすぐ夢を見るんだから。もっとも、それが理奈のいいところなんだけどね」
 多香子はお姉さんのように理奈のおでこを小突いて、理奈の腕を引く。
「こんなところでぼやぼやしていると遅刻するよ。宿題は来年に持ち越しだね」
 多香子は理奈の腕を引いた。今年はあと何回雪が降るだろうか。たくさん降ればいいな。幼い頃と比べてめっきり雪が降る回数の減った冬空を見ながら、多香子はそう願った。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

【掌編】齊藤想『天使のスモモ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第47回)に応募した作品です。
テーマは「スモモ」でした。

―――――

『天使のスモモ』

 私がまだ小学校低学年のころ、週末は家族で郊外にある祖父母の自宅に通っていた。
 両親は小規模な土木業を営んでいたが、業界に不況の波が押し寄せて仕事がなく、果樹園を営んでいる祖父母の手伝いをして家計の足しにしていた。
 家族が収穫に出かけると、私は遊び相手もなく、ひとり縁側で人形遊びをしていた。そうしたら、ある日、ガキ大将風の男の子が、ひょっこり顔を出してきた。
「お前、誰だ」
 その丸坊主の男の子は、まるで咎めたてるように言い立てた。私は憤慨するのと多少の恐怖で無視をしていたが、男の子は平気で庭に足を踏み入れ、近づいてくる。
「勝手に入ってこないで」
 祖父の家はひどく開放的で、庭と畑の境目がない。入るのも出るのも自由だ。男の子は叱責されても動じるそぶりがない。
「都会のもんか」
「教えてあげない」
 男の子は、ふん、といった表情をした。そして、突如として高橋と名乗った。
「スモモを食わないか」
 そういって、庭先にある祖父のスモモの木を指さした。
「あんたねえ、ひとの家に勝手に入ってきて、何を言い出すのよ」
 失礼な子だ。本当に不愉快だ。だが、その一方で、この男の子に興味を覚えてきたのも事実だった。汚いシャツに半ズボン。いつ散髪にいったのか分からない頭。都会に存在しない野生児そのものだった。
「スモモなんて、たくさん食べているわよ。おじいちゃんはスモモ農家なのよ」
 男の子は首を横に振った。
「売り物のスモモではなく、この庭に生えているスモモだ。なにせ、このスモモは特別だからな」
 野生児はケタケタと笑った。なぜ、そのことを知っているのだろうか。祖父は「このスモモは天使様のものだから」と言って、決して家族に振舞おうとはしない。
「この木はずいぶんと大切にされているみたいだなあ。剪定だって、肥料だって。古ぼけた木なのに」
 果樹園のスモモと比べると、老木で、樹勢が衰えていることは素人目にも理解できる。それでも、祖父が大切にしている木をバカにされると、怒りがこみ上げてくる。
「都会もんは、さぞかし旨い実がなるんだろうなあ、とか思っているだろ」
「おいしいに決まっているじゃない。これは天使様のものなんだから」
「その祖父の言うテンシは一粒も分けてくれないのか。ずいぶんとケチなテンシだなあ」
「そんなことない。これ以上、おじいちゃんを悪く言ったら許さない」
「おお怖い、怖い」
 男の子はおどけた。
「そんなに食べたいなら、勝手に食べればいいじゃない。その代わり、おじいちゃんに怒られてもしらないから」
「ひとりで食べたくないんだよなあ」
 男の子は急にはにかんだ。表情のあまりの急転に思わず噴き出してしまう。ペースに引き込まれていると思いながらも、ついつい心を許してしまう自分がいた。それに、前々から庭先のスモモに興味があったのも事実だ。
「二つぐらいなら分からないかなあ」
「たぶん、な」
 その一言で、私の気持ちは決まった。手の届く位置にあるスモモを二つもぎ取ると、男の子と一緒に食べた。男の子が言うように、酸っぱくて、お世辞にも美味しいとは言えなかった。祖父がなぜこのスモモを大切にしているのか、またその男の子がなぜこのスモモを食べたがったのか理解できなかった。
 スモモを食べると満足したのか、男の子は「じゃあな」と立ち去った。もちろん、祖父に見つかり、私はこっぴどく怒られた。

 それから数十年がたった。
 何気なく新聞を眺めていたら、そのときの男の子が過激な政治活動中に逮捕されたとの記事を発見した。その瞬間、すべての疑問が雪のように解けていった。
 祖父が言う「天使様」は、実は「天子様」、つまり天皇陛下のことだったのだ。
 祖父の庭にあったスモモは品種改良前の希少種で、献上品だったのだろう。男の子は既存の権威に反発する気持ちがあり、貴重なスモモを食べることで、溜飲を下げたのだ。いまから思うと他愛のない児戯だが、その子にしたら偉大なる冒険だったに違いない。
 あの野生児は、中年を過ぎても、野生児そのままだった。
 今年もスモモの季節がやってきた。
 あの日食べたスモモは、二度と味わっていない。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

【SS】齊藤想『隣の芝生は青い』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第46回)に応募した作品です。
テーマは「鏡」でした。

―――――

『隣の芝生は青い』 齊藤想

「よう、元気か?」
 鏡の中の俺が声をかけてきた。ほほの肉は削げ落ち、目の周りには隈が這う表情は自分そのものだ。左手を上げれば鏡の中の自分も左手を上げるし、笑顔を作れば笑う。見た目は普通の鏡なのに、声だけが聞こえてくる。
「そんなことないぜ。お前はいたって正常だ」
 鏡の中の自分が、口を結んだままケタケタと笑う。精神の破滅が近いらしい。そう思いながら、奴隷のように職場へと向う。
 俺の会社はブラック企業として有名だ。土日出勤徹夜勤務は当たり前で、昨晩帰宅したのは一週間ぶりだ。
 上司の口癖は「仕事があるのは幸せなことだ」である。
 仕事をどんどん取るのに人は取らない。二十代前半で課長になれるが、裏返せば三十代まで体がもつ人間はほとんどいない。
 ひといきつけるのは、同僚と営業周りをするときぐらいだ。外出中も一時間ごとに報告が義務付けられているので、完全に安心ができるわけではない。
「最近なんだけど」と俺は営業車から降りると同僚に昨日のことを話した。車内はドライブレコーダーが回っているので、余計なことを口にできない。
「まだ、そんな段階か」
 同期は俺の悩みを笑い飛ばした。
「鏡の中の自分と会話を交わすなんてまだまだ甘い。早く入れ替わらないと、頭がおかしくなるぞ」
 話を聞く限りだと、同期の方が頭がおかしくなっているように思うが。
 俺の疑念を感じたのか、同期は人差し指を横に振った。
「鏡の自分と入れ替わるのはいいぞ。おれなんて現実世界に出てくるのは週一だから、こんなに元気というわけだ。あ、ちなみに今日は本物の田中だから安心してくれ」
 同期は鏡の中の自分と入れ替わる呪文を教えてくれた。会話ができるようになれば、壁を越えるのはあと少しだという。
 どうにも信じられない。そう思いながらも、気がついたら呪文をメモしていた。

「たまにはゆっくり休め」
 鏡の中の俺は、意気揚々と自宅を出た。鏡の中は意外と快適で、鏡だから当たり前かもしれないが、左右が逆であること以外は同じだった。好きなだけベッドで寝ることができるし、テレビを見ながらごろ寝もし放題。
 田中があんなに元気なのは、鏡の中で休んでいるからだと納得した。
 試しに家の外に出てみたら、左右が逆であること以外は現実世界と同じだった。空は快晴で、すがすがしい気持ちになる。
 十分に休んだところで、鏡の自分が戻ってきた。目に隈ができ、疲れた顔をしている。
「お前、よくこんな職場に耐えられるな」
「まあな」と休養十分の俺は余裕で答える。
「明日は変わってくれ。もう無理だ。鏡の世界に帰りたい」
「仕方がないなあ」
 俺は王様の気分だった。
 
 こうして、日替わりで現実と鏡の世界を行き来する日々が始まった。鏡の世界にも飽きてきたところで、試しに職場に向かったところ、いつもの上司も田中もいた。
「近頃、サボリ癖がついてきているじゃないか。今日は働いてもらうぞ」
「おいおい、ちょっと待て」
「なんだと、上司に口答えするのか」
 俺は首根っこをつかまれ、むりやりデスクに座らされた。明日もサボったら一晩中電話するぞ、との脅し文句とともに。

「今日は現実世界に戻させてくれ」
 俺は鏡の自分に懇願した。
「だいぶ慣れてきたのになあ。ずっと、こっちの世界にいてもいいぜ」
 鏡の中の俺は、ずいぶんと余裕をかましている。少しイラつく。
「お互いに元の世界に戻るだけだろ。何が問題あるんだ」
「はいはい、分かりましたよ」
 俺は現実世界に戻った。だが、やっぱり上司がいて調子の良い田中がいて、おまけに「近頃、サボリ癖がついてきているじゃないか」と脅された。慌てて鏡の世界に戻る。 

 あるとき、俺は思った。隣の芝生は青いというが、鏡の中と外も同じことなのかもしれない。
 それにしても、今日の俺がいるのは鏡の中の世界だろうか、それとも現実の世界だろうか。
 入れ替わりすぎて、俺には判断できなくなっていた。
 
―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html








nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

【掌編】齊藤想『年輪』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第45回)に応募した作品です。
テーマは「カレンダー」でした。

―――――
『年輪』 齊藤想

 土曜日の朝、哲人は柱にぶら下げてあったカレンダーをめくった。赤二重丸が書かれていた日が消えていく。
 哲人はため息をついた。孤独なまま、またひとつ年を取る。
 哲人は社会人になってから、同じアパートで独居を続けている。独り身が好きなわけでも、この古アパートが気に入っているわけでもない。本音を言えばすてきな伴侶を見つけて新婚生活を味わいたい。ただ、その機会が無いだけだ。
 哲人には明確な女性の好みがある。年上の女性だ。ただ、哲人が気に入った女性たちはことごとく既婚者だった。
 すてきな女性というのは男性からのアプローチが絶えないわけで、しかも年上となればすでに相手が決まっていて当然だ。
 しかたなく、哲人は官能小説やアダルトビデオで憂さを晴らしていた。最近はインターネットやスマホで露骨な画像や動画が見られるので重宝している。
 今日は休日だ。頭の中にエッチな妄想を広げながら朝のコーヒーを飲み干すと、最近購入したばかりの流行のスニーカーを履き、近隣の公園まで散歩に出かけることにした。
 この地域は高度成長期に集合住宅が乱立したが、老朽化とともに取り壊され、再開発が現在進行形で進んでいる。アパートは高層マンションに生まれ変わり、立体化したことで生じた余地には総合病院や大資本スーパーマーケットが進出し、それでも余ると行政は広い公園を設置してお茶を濁した。
 哲人が公園にたどり着くと、まず大きくストレッチをする。次にめがねを掛けて周囲を見渡す。哲人が公園に行く表向きの理由は健康維持のためだが、本音は新しい出会いを見つけるためである。
 公園内部をくまなく観察すると独り者らしい女性がベンチに座って遠くを見ていた。本人にとって重い、他人にとってはどうでもよい不幸が起こったのかもしれない。
 これはチャンスだ。哲人は「NPO法人 ティーチ・アンド・トーキングの会 代表」という名刺を持ち歩いている。どんな会でもNPOをつけると信頼度が増すのが不思議だ。もちろん、このアルファベット三文字はインクジェットプリンタで印刷しただけで、実態はない。
 哲人は新しい出会いに胸をときめかせながら、女性の隣りに座った。
「どうされましたか」
 そう言いながら、二本指で名刺を挟んで彼女に渡す。彼女と目が合う。
「あのー」と女性が間延びした声を出す。これは失敗だ、と哲人は直感した。だが、引き返せない。妄想にとりつかれている彼女の話を最後まで聞くことになり、さらには自宅まで丁重に送り届けるはめになった。
 健康には良いかもしれないが、精神衛生上はよろしくない。おそらくは年下だろう。まだ若いのに可愛そうに、と同情した。
 公園以外にも出会いの場所はある。最近のお気に入りは公民館だ。公民館では様々なイベントが開かれていて、中には非会員であっても参加できる企画もある。イベントに直接参加しなくても、終了後の高揚感にうまく入り込めば、お茶に誘うことだって可能だ。
 土曜日は公園で失敗したので、日曜日は公民館に出かけることにした。地元サークルが主催する映画鑑賞会があり、時間をもてあましている婦人方が集まっている。
 哲人はまあまあの有名人である。ここでは例の名刺は必要がない。哲人には長年狙っている女性がいて、夫が最近死去したことも知っている。唯一の難点は、彼女が若すぎるということだけだ。だが、贅沢はいえない。
 彼女は人気者なので、とりまきの女性たちが座席を囲む。哲人は仕方なく離れた場所に座り、映画が終わるのを待ち続けた。実につまらない時間だ。
 映画が終わると、彼女は取り巻きたちとそそくさと公民館を出てしまった。またチャンスはあるだろう。
 実は哲人にはもうひとりあこがれの女性がいた。もちろん年上だ。だが、テレビ画面の中でしか知らない。高値の花、といったところだ。その彼女も、先日死去した。なぜ、自分が好きな女性は次々と世を去ってしまうのか。寂しさに胸が掻き毟られる。
 哲人がアパートに戻ると、すでにテレビ局の取材スタッフが待ち構えていた。予想はしていたが、あまりに早すぎる。
 若い女性レポーターは心の痛みなど眼中にない様子で、哲人にマイクを突きつけた。
「先日、翁長キンさんが亡くなられたことにより、尾浜哲人さんが日本最高齢となったわけですが、いまの感想はいかがですか?」
 哲人は「くそ食らえだ」と吐き捨てた。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(4)  コメント(2) 
共通テーマ:

【掌編】齊藤想『ピンとキリ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第44回)に応募した作品です。
テーマは「ピン」でした。

―――――

『ピンとキリ』 齊藤想
 
 杉本は同期である石田と、若手漫才コンビ「ピンとキリ」を組んでいる。漫才師としては駆け出しだが、相方である石田がときおりTVに登場するようになったこともあり、杉本には徐々に注目度が増している実感があった。
 「ピンとキリ」が小さな地方公民館で漫才を披露して舞台の袖に戻ると、いつもは現場にこないマージャーが、満面の笑みで二人を待ち構えていた。
 相方の石田は少しモジモジとしている。杉本は嫌な予感がした。空調が足りず、額から汗を掻いているマネージャーが、いかにも期待しているといった感じで石田の肩を大げさに叩いた。
「今日から君はピンだ」
 とまどう杉本に対しては、マネージャーはおざなりに左肩に触れただけだった。
「ということで、杉本君は単なるキリだ」
「それはどういう意味ですか」
 半分以上は石田に向けて投げかけたのだが、答えたのはマネージャーだった。
「決まっているじゃないか。”ピンとキリ”は本日をもって解散し、お互いにピン芸人の道を歩むのだ。ピンだった石田はピンとして、キリだった杉本はキリとして活動してもらう。ピン芸人のピンなんて、面白いじゃないか」
「ちょっと」と杉本は抗議したが、無駄であることは、相方の表情を見て悟った。人気が出てからのコンビ解消はともかく、名前が売れる前にそれぞれの道を歩むなんて、捨てられるにしても情けなさすぎる。
 確かにネタを作るのも人気も石田だ。事務所としても、限られた仕事と稼ぎを分配するのに、実力も将来性もないタレントは邪魔なのだろう。マネージャーの脂ぎった顔を通じて、社長の本音がにじみ出る。
「ピンとキリがどちらが上なんて、まあ、あってないようなものだ。この言葉はずいぶんと歴史があって、室町時代はキリが上でピンが下だった。それが逆転したのは江戸時代のことだ。それから昭和になって、”いろいろな”、という意味が加わった。これから二人が活躍すれば、ピンキリに新しい意味が加わるかもしれない。うん、そうだ。君たちならできる。二人の力で辞書を書き換えてくれたまえ。わっはっは」
 マネージャーの作られた笑い声が、杉本には不愉快だった。

 杉本がアパートに帰ると、彼女である加藤詩織がとんかつを揚げていた。将来は結婚を意識しているが、まだ彼女を養えるだけの甲斐性はない。それどころか、貿易事務で働いている詩織に食べさせてもらっている。
「今日のライブはどうだった?」
 一枚目のとんかつが揚った。とんかつを挟んだ箸の隙間から、新鮮な油がゆっくりと鍋に落ちていく。
「まあまあ、かなあ」
 杉本はあいまいに返答した。実質的に首宣告されたなんて、口に出せない。
 再び台所からは油のはねる音が聞こえてくる。しばらく無言。二枚目のとんかつも完成。テーブルに料理が並べられる。なんとなく重苦しい食卓。
「私ねえ」と詩織が口を開く。「仕事辞めようなあ」
 最悪だ、と杉本は思った。このままだと二人で無職だ。結婚どころから明日の生活費すらままならない。だが、自分の夢のために、いつまでも詩織に甘えてもよいか。杉本はとんかつの脂をかみしめながら葛藤した。
 芸人は才能の世界だ。いくら頑張っても、ダメな芸人はダメなのだ。所詮、キリはキリだ。芸人生活はもう潮時ではないのか。
「この豚肉、とっても安いの。ピンキリだったらキリの方。だけど、とってもおいしいと思わない?」
 杉本はうなずく。マネージャーのうんちくが頭をよぎる。
「どっちがピンでどっちがキリだなんて、だれが決めるのかしらね。キリならキリでいいじゃない。私は職場ではキリだけど、独立して会社を興そうと思うの。比べるひとがいかなくなれば、ピンもキリもないからね」
 詩織は杉本のことを親よりも理解している。芸人としての実力も、将来性も。その上で、呼びかけているのだ。
「おれ、芸人から足を洗って手伝うよ」
 キリの語源は大正かるただが、キリは王様を意味する。キリだから社長になるのは、ある意味で正しい。
 しかし、詩織は小さく首を横に振った。
「直幸はそのままでいいの。芸人として頑張ってくれたら。その代わり、いつか、わが社の広告に格安で出演してね」
 杉本はとんかつの最後のひときれをかみしめた。
 何よりも大切なひとのために、自分は何をすべきなのか。
 杉本は石田とマネージャーの顔を思い浮かべながら、思考の海に引き込まれた。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:

【SS】齊藤想『防犯コンサルタント』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第43回)に応募した作品です。
テーマは「商売」でした。

―――――

『防犯コンサルタント』 齊藤想

 防犯コンサルタントは稼げそうで、稼げない。なにしろ、相談ばかりで、いざ設備投資となったら大きい契約は全て大手メーカーに持っていかれてしまう。
 特に個人営業の小さな会社はそうだ。顧客は事前相談だけで逃げてしまう。日本人は専門知識に敬意を払うことはあっても、なかなか金は払わない。そういう文化だと知っていても割り切れない。
 この前もそうだ。ピッキングが不安になり相談に来た客がいた。自宅写真を何枚か見せられたが、そのそもピッキング以前に窓枠が弱すぎると指摘した。
 頑丈に見える格子窓は、実はドイバー一本で簡単に外せる構造だし、曇りガラスは強そうに見えて脆い。しかも奥まった位置にあるので道路からも近所からも見えない。窓を小さく割って内部のシリンダー錠を跳ね上げれば、簡単に侵入できてしまう。
 私は客に早急な対策をとるようアドバイスをしたのだが、残念ながら間に合わなかったようだ。数日後に、写真で見たのと同じ家が、泥棒にやられたというニュースが流れてきた。大きな会社なら即座に工事ができたのにと、残念に思う。
 また、このようなこともあった。おとなしそうな淑女が相談に来た。高級マンションの購入を考えているが、セキュリティーが気になるという。
 近年は物騒な事件が多いので、淑女の心配ももっともなことだ。私は親身になって相談に乗ることにした。
 淑女は真剣に検討しているようで、様々な資料を持参してきた。
 私は慎重に話を聞き、図面を見て、結論を下した。これではまったくダメです。
 エントランスはインターホン式オートロックシステムとなっているが、別の住民が入るときに同時に入れば何ら障壁とはならない。常駐の管理人室があるといっても、大型マンションなので、全員の住民の顔を覚えられるわけがない。問い詰められても友人と名乗ればそれまでだ。
 しかも、淑女が購入を検討している最上階は、防犯面からすると地上階の次に弱い。各部屋のドアは様々な対策が練られていて、ピッキング、破壊、サムターン回しの全てに耐性がありそうだ。しかし、屋上がらベランダに降りて、そこから窓ガラスを割って侵入されたら終わりだ。
 ほとんどのマンションは、屋上に続く扉にまで厳重な対策はされていない。淑女が購入を検討しているマンションもその例に漏れなかった。
 屋上に続く扉の鍵の写真を見たところ、一分もあれば開けられそうな簡易な錠しかついてい。メンテナンスをしているふりをすれば、ピッキングの現場を見つかっても気づかれることはないだろう。
 購入をとどまるようアドバイスしたのだが、残念なことに、淑女は私の話を信じなかったようだ。
 私が指摘したのと同じ手口で、淑女が購入したマンションが泥棒にやられたという噂を聞いた。マンション会社が私を雇ってくれたら、より強固な防犯対策を取ることができるのに、防げる犯罪を遠くから傍観するしかないのは地団太を踏むほど悔しい。
 個人営業では鍵の販売や設置、各種防犯グッズの販売しかできない。防犯ベルなど気休めにしか過ぎない。だが、これらの小物が私の生活を支えていると思うとないがしろにもできない。理想と現実のギャップに、忸怩たる思いは募るばかりだ。
 つい最近も、このような出来事もあった。
 ある紳士から、ピッキングに強いテンプルキーを3つも付けた自慢の扉を見て欲しいという依頼があった。見た目は普通のマンションだが、中には大事な骨董品が置かれているという。「木を隠すなら森の中」ということらしい。
 確かに鍵が3つもあれば丈夫そうだが、最近はバンピングという特殊な不正解錠の方法がある。これは特殊な工具を使い、鍵内部に振動を与えることで内部のシリンダーを揃え、解錠してしまうのだ。
 紳士の扉の鍵は、バンピング対策が取られていなかった。
 私は危険性を訴えたが、紳士は信じなかった。仕方がないので、実際に同じ店にある見本の鍵をバンピングで解錠させてみせた。紳士は口をあんぐりと開けていたが、どうやら鍵の交換はしなかったようだ。ほどなくして、あるマンションから骨董品が大量に盗まれたというニュースが流れてきた。テレビ映像を見る限りだと、私が危惧したとおり、バンピングでやられたようだ。

 それにしても、ここ最近、不思議なことがふたつある。
 まったく稼ぎにならないのに相談客ばかり次から次へとやってくることと、ときおりポストに宛先人不明の小額の謝礼金が投げ込まれることと。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:

【掌編】齊藤想『レンタル和尚』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第42回)に応募した作品です。
テーマは「彼岸」でした。

―――――

『レンタル和尚』 齊藤想

 暦の上では秋なのに、残暑が厳しいな、と慶念は思った。「暑さ寒さも彼岸まで」という諺は地球温暖化が進んだ今日では通用しない。9月も後半になろうというのに生き残っているセミが、やかましく鳴き続けている。
「このたびは本当にありがとうございます」
 和服を着た淑女が丁寧にお辞儀をした。年頃は八十手前ぐらだろうか。白髪が下げながら、奥ゆかしくお布施を差し出してくる。慶念は夏用の袈裟を身にまとっているが、それでも全身から汗が噴き出してくる。早く車に戻って、冷房を全開にしたかった。
 慶念は定額制のレンタル和尚だ。依頼者が金額に後ろめたさを感じる必要はない。予約もインターネット。顔を合わせるのは法要の最中のみ。慶念は仕事として、和尚を選択した。それ以上でもそれ以下でもない。
「これはどうもありがとうございます」
 慶念は両手を合わせ、宗教家らしい仕草を見せながら、お布施をいただく。これも仕事のひとつだ。
「ところで慶念さん」
 お膳の招待だろう。慶念は断ることにしている。そのことはHPでも明記している。「依頼者のご負担を……」とかもっともらしいことを書いているが、本当の理由は数をこなしたいからだ。あらゆる分野に価格破壊が進んだ現代社会では、法要も数をこなさなくては稼げない。人間は裏切るが銀行預金は裏切らない。それが慶念の信念であり、哲学であった。
 もちろん、この薄利多売は同業者の恨みを買った。「金に汚い」「守銭奴」「生臭坊主」などつけられたあだ名は数知れない。もはや自分の異名がいくつあるか数えきれない。どの坊主も口では立派なことを言っていても、ひとかわ剥けば欲にまみれた同じ人間なのだ。
「お心遣いはありがたいのですが、次がありますので」
 慶念はいつもの切り口上を述べながら、車のキーを懐からだす。日差しの厳しい玄関先で会話を交わすのは極力避けたい。そう思っていたが、依頼者は一方的に会話を続ける。
「ところで、慶念さんは真厳さんのご子息様ですよね」
 慶念の体に錐のような電気が走った。HPには経歴を一切書いていない。それなのに、なぜ、その名前を知っている。
「真厳さんはたくさんの借金を背負われて、残念なことになったと聞いています。なにしろ、弟子がこさえた借金を肩代わりなさり、大変苦しまれたと」
 慶念はだまってうつむいた。様々な記憶が蘇る。大きく首を振った。
「その名前は知りません。人違いでしょう」
「そうですか」依頼人は残念そうに首を横に振った。「失礼なことを申しました。いま私が話したことは忘れてください」
「そうします」
 慶念は軽自動車に乗り込んだ。残り僅かな人生を楽しむセミたちは、ますます盛んに鳴き続けていた。

 慶念の自宅はアパートの一室だ。寺は持っていないし、必要もない。法具を脱ぎ去ると、メールを開き、仕事の依頼をチェックする。山のような誹謗中傷にはもう慣れた。ゴミの山のような受信箱から、探していたメールを拾い上げる。
「まだ生きています」
 月1回の定期報告だ。真厳らしく、完結で、必要最低限の言葉しかない。
 師匠の借金を返し終わるまであと少し。
 真厳はカジノにはまり、借金を重ねたあげく「弟子の借金を背負った」と嘘をついて逐電した。残された家族は寺を売り、家を売り、無一文になって路頭に迷った。借金取りは弟子の慶念のもとに押しかけ、慶念は師匠の養子になっていたこともあり、子供の義務だと割り切って払い続けている。
 坊主だって失敗するし、後悔もする。だからひとを許せる。過去を水に流せる。慶念だって、パチンコで身を崩し、無一文で路頭を迷っていたとき真厳に拾われたのだ。師匠から最低限の教育を受けたおかげで、こうして和尚として生活できている。
 坊主だって人間なのだ。助け、助けられて生きている。
 今日はお彼岸だ。実は師匠はすでに死んでいて、あのメールは来世からの私信ではないか。そのようなことを、ふと慶念は思った。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

【SF】齊藤想『祖母の神様』 [自作ショートショート]

第5回星新一賞に応募した作品です。
思いのほか進んでいる江戸時代の天文学を題材にしています。
知ればしるほどびっくりです。

―――――

『祖母の神様』 齊藤想

 このようなことを県立天文台の館長を務められている貴職に質問するのは筋違いもしれません。
 しかし、同じ高校でともに白球を追い続けた古い知己に頼り、また館長が日本における天文観測の歴史の第一人者と聞き及ぶにつれ、ぜひともご意見を伺いたくお手紙を差し上げました。
 ご相談したいのは、曽々祖父が発見したという神様についてです。分かりやすく書くと四代前の先祖になります。
 彼は激動の時代であった幕末から明治を生きた商人でした。商人が神様を発見したとは奇妙な話かもしれませんが、祖母からそう聞いたのです。国を堅く閉ざし、技術も未熟だった江戸時代に何を発見したのかと奇異に思われるのが普通です。
 ですが、調べ始めると面白いのもので、江戸時代は現代人が想像しているより科学技術が発達していることが分かりました。お茶を運ぶからくり人形などは、日本工芸史上に残る傑作だと思います。
 しかし、素人の調査には限界があります。
 四代前が発見した神様の正体とは何か。本当に神様を発見したのか、それとも何かの見間違いなのか。
 調査が暗礁に乗り上げたときに頭に浮かんだのが、貴職のことでした。
 職務を離れた個人的なことで大変恐縮ではありますが、話だけでも聞いていただけると幸いです。

 説明のために、祖母から聞いた話を書きます。当時、私は高校生三年生でした。
 野球部を引退し、時間を持て余していた私が久しぶりに祖母の家に顔を出したところ、祖母が真面目な顔をしてこう切り出しました。
「神様は江戸時代に発見されたんだよ」
 しかも、神様の発見者は私の先祖だと言うのです。タカシは高校で一生懸命勉強しているから、実際に頑張ったのは野球なのですが、きっと先祖の大発見を証明してくれるだろうと期待しているようでした。
 祖母の名前は彩矢といいます。いつも彩矢ばぁと呼んでいます。
 彩矢ばぁによると、先祖は貧しい農家の三男として生まれたそうです。誕生は天保年間ですから江戸時代の後半から末期に当たります。
 当時の農民は、貴職もご存じの通り、貧しいというわけではありませんが、かといって裕福ではありません。余裕のある家庭は限られています。
 先祖の家の田畑は狭く、現金収入につながる換金作物もありません。曽々祖父の家は、残念ながら貧しい農家のひとつでした。
 両親に三男を育てる力はありません。先祖は幼くして大阪に出て、ある質屋に丁稚奉公をすることになりました。
 その商家の主人は学問好きで、見込みのある若者には勉強を奨励していたそうです。先祖は主人に見込まれ、独自に学問の手ほどきを受けるようになりました。その商家は代々天文観測を趣味としており、独自の観測機器を開発し、民間人でありながら日本の天文学を引っ張るような存在だったようです。
 店主は多くの業績を残したそうですが、彼はそれだけの天文学と数学の知識を有していました。残念ながら、わが家にその商家の名前は伝わっていません。
 その後、江戸幕府が崩壊し、様々な混乱の中で先祖は暇を出されました。現在の言葉に直すと失職です。武士の一部は新政府に雇われて民間人が羨むような高給を手にしましたが、新政府の恩恵は下々にまで行き渡りません。
 特に先祖は厳しい立場に追い込まれました。なにしろ商家の仕事にはほとんど手をつけず、天文観測と学問に明け暮れた人間です。これといった技術もつてもなく、失職後は大変な苦労をしたようです。
 他の奉公人からの評判も良くありません。
 同僚からすれば、先祖は本業の手伝いをせず、主人の寵愛をよそに遊びほうけていたようなものですから、時代が変わると同時に路頭に放り出されるのは当然だったかもしれません。だれも助けてくれません。雇主だった質屋の主人も、代が替わり、その頃には先祖を助ける余裕がありませんでした。
 先祖が経済的にひとごこち付いたのは、明治も中頃になってからです。
 商家の主人に見込まれただけあって先祖は優秀な人間だったらしく、自ら商売を起こし、それなりの成功を収めたそうです。
 苦労を重ねているうちに、先祖は老人になっていました。
 商売は長男に託して隠居し、悠々自適の日々を過ごしていたそうですが、突如として若い頃の情熱が蘇り、天文観測を自費で再開したそうです。
 じっとしていられない性分だったのでしょう。盆栽いじりに飽きたのかもしれません。
 時間も金も余裕がある中で、自ら天文観測をするのと同時に、質屋の主人が残した観測記録や、江戸幕府に秘蔵されていた各種書面の写しを入手して研究しました。その結果、先祖は驚くことべきことを発見したのです。
「この世には神様が存在する」
 しかも、江戸時代には既にその痕跡が記録されていたというのです。いままで誰も気が付かなかっただけで、見えるひとには明瞭に読み取れるほどの足跡だったそうです。
 先祖はその”発見”に夢中となりました。蔵に蓄えられた莫大な金銀を食いつぶしながら望遠鏡を自作し、観測し、神様の存在を”証明”することに熱中しました。
 しかし、その頃には、江戸時代にともに研鑽してきた天文観測仲間はこの世になく、先祖の研究を理解してくれるひともいませんでした。
 しかも内容が内容です。おまけに、当時の日本には、江戸時代は全て悪だという空気が充満していました。
 あまりに時期が悪すぎる。
 先祖は発表の機会を待つべく、研究結果を自宅にしまい込みました。しかし、発表する機会はついに訪れませんでした。時代の歩みは先祖の寿命を待ってくれませんでした。
 息子からすれば、財産を食いつぶす父親の趣味を快く思うわけがありません。先祖が研究を抱いたまま死亡すると、後取りは天文学など疫病神とばかりに、先祖が丹精込めて作り上げた観測器具と観測記録は、土蔵の倉庫に捨てておかれました。
 そして、太平洋戦争の空襲で、全て灰燼に帰しました。
 いま残っているのは、祖母が教えてくれた語り聞きのみです。先祖は、神様の正体について、祖母にこう伝えたそうです。
「見ることも、触ることも、音を聞くこともできないが、確実に存在する。それは、天球運行表を見れば読み解ける。神様は大いなる力で、宇宙を支配している」
 私個人の感想を問われれば、もちろん神様の存在を信じることはできません。その一方で、先祖が何らかの発見をしたことを確認したい気持ちもあります。
 先祖は何を見て、何を発見したのでしょうか。
 結論を求めるものではありません。強いて回答を求めるものでもありません。もちろん職務とは何ら関係がありません。
 それでも、自分の好奇心を抑えることができません。
 勝手なお願いで大変恐縮ですが、貴職のご意見をお聞かせ願えれば幸いです。よろしくお願いいたします。


 お手紙ありがとうございます。興味深く拝見させていただきました。
 高田君のことならよく覚えています。確か二学年下で、練習試合でファールフライを追いかけることに夢中になり、相手チームの監督にダイブして一撃でノックアウトしたのは野球部の伝説になったと聞いております。
 その高田君がいまでは県幹部職員となり、部署は違えとともに仕事をするのですから人生とは面白いものです。
 さて本題に移りますが、実は高田君のご先祖様が発見したものの正体がおぼろげに見えてきました。
 種明かしをする前に、まずはご先祖様の奉公先について説明しましょう。
 天文観測好きの質屋は存在します。それは十一屋という大阪の豪商です。
 特に有名なのが、寛政から文化にかけて活躍した七代目の間重富です。通称は十一屋五郎兵衛とよばれていました。倉が十一個もあったことから十一屋と呼ばれたのですが、重富の代には十五個まで増えました。
 彼は後取りのボンボンではありません。若くして父を失い、家業を継いだのは彼がまだ十代のころでした。かなり優秀な人物だったようで、火災であらかた失った家財を一代で立て直すなど、順風満帆だけでなく苦労を知る有能な経営者でもありました。
 間重富は単なる天文好きの豪商といったレベルではありません。
 江戸幕府で天文方をしていた高橋至時とともに寛政改暦を完成させ、さらに高橋至時の亡きあとは商人でありながら幕府天文方の指導者となり、実質的に幕府の天文研究を取り仕切っていました。晩年には日本で一番の天文学者となったのです。
 とくに観測器具の制作に優れた指導力を発揮し、天文観測専用の振り子時計「垂揺球儀」や、天体の地平から高度を測る「象限儀」などを完成させました。
 ご先祖様が仕えたのは、おそらくは重富の息子、重新の晩年でしょう。重新は若い頃から父の補佐をしながら天文学を学び、オランダ製の屈折式望遠鏡や、イギリス製の反射式望遠鏡を所有して数々の業績を残しました。白昼の水星南中観測を成功させ、未完に終わったものの、清濛気差と呼ばれていた空気の揺らぎによる光線の屈折を研究しました。
 鎖国時代というと海外の文物は入ってこないと勘違いされがちですが、厳しかったのはキリスト教だけで、宗教と無関係な文物については比較的寛容でした。特に科学技術関係は積極的に輸入され、江戸幕府の翻訳センターともいうべき蕃書調所は三千冊以上もの洋書を所有していました。
 もっともこれは昭和二十九年に上野図書館で発見された洋書だけであり、大政奉還の混乱時に散逸した可能性を考えると、倍以上あってもおかしくありません。また、幕府が入手していなくても、諸藩や民間人が所有していた本もあります。当時の日本には一万冊以上の洋書が出回っていたものと推測されます。
 天文観測は江戸幕府にとっても重要な仕事です。星空を観測し、日誌を付け、その記録を基礎資料として新たな暦を作っていました。
 当時の日本人の大多数である農民は、暦をもとにして種をまき、作物を育てます。暦には春分の日や秋分の日だけでなく、月食や日食の予測まで書かれています。しかも食の範囲と時刻もです。予測が的中してこそ、農民たちは暦を信じ、安心して作物を育てることができます。
 当時の日本にとって、暦とは政治そのものでした。
 暦の権威を守るためには、予測が正確でなければなりません。
 江戸幕府はさらに精度を上げるため、専用の天文台を建設しました。しかも周囲の環境が変わり、観測に不向きとなると移転するほど力を入れていました。
 天明二年に完成させ、後に司天台と呼ばれた浅草の天文台は、二百町四方の敷地に三丈一尺の露台を築いていました。そうした専門施設で、江戸幕府は星空を日々観察していたのです。
 重新の次代からは幼い当主が続き極端に衰えましたが、それでも間家は幕府から天文観測の命令を受けて星空の記録を取り続けていました。ご先祖は重新に才能を認められて天文観測に従事するようになったのですから、幕末まで続けた可能性が高いです。
 高田君は伊能忠敬が作成した伊能図をご存知でしょうか。
 現代地図と見間違えそうな精巧な図面ですが、この地図が作成されたのは間重富の時代です。それもそのはずで、伊能忠敬は間重富の弟子なのです。
 あれだけの図面を作れたのは、間重富が仕込んだ天文観測技術があってこそです。
 伊能忠敬は地上の測量と平行して天文観測を実施し、随時、緯度経度を補正することで誤差を修正しました。もちろん、伊能忠敬は地球の大きさを知っていました。ただ知るだけでなく、実地測量で確かめることもしました。
 江戸末期は、欧米から次々と新しい知識が入り込む時代でもありました。
 間重富の晩年にはすでにニュートン力学が日本に伝わっていました。ケプラーの第三法則にいたっては、日本に伝わってくる前から発見されていました。地球の軌道が真円ではなく楕円であることは間富重の時代から遡ること一〇〇年前の五代将軍徳川綱吉の時代には観測されていました。さらにその楕円軌道の軸が毎年変動していることも、公転が等速運動ではないことも知られていました。もちろん彗星の軌道も計算できました。
 ご先祖様が仕えていたと思われる重新のころには天王星の観測も始められており、理論値と実測値が異なる原因について議論されるレベルに到達しています。
 高田君も言われているように、一般に流布されているような江戸時代が無知蒙昧の時代という認識は誤っています。長年の平和のおかげで、新進気鋭に富んだ科学者が多数輩出された時代でした。
 ですから、ご先祖様がどのような発見をしていたとしても、驚くにはあたりません。
 観測技術はいまより劣りますが、彼らには時間があります。同じ星を百年単位で追い続けるという気の長い観測は、現代人にはまねできません。
 確かに現在は観測精度が恐ろしいほど向上しています。しかし、時間軸の長い観測という意味では江戸時代に完敗です。歴史が違いすぎます。
 そういえば、ご先祖様が発見したものの正体をまだ述べていませんでしたね。手紙を書いているうちに楽しくなってしまい、ついつい長くなってしまいました。
 いまからご先祖様が発見したものを書きます。
 これはあくまで私の推測と、ある種の願望から述べるのですが、ご先祖様は「暗黒物質」を発見したのではないかと考えております。
 暗黒物質とは現在の天文観測技術をもってしても観測不可能ですが、質量を持ち、その重力でもって宇宙を動かしている物質です。天体観測を続け、星々の動き計算した結果、存在していると推定されている物質です。暗黒物質の特徴を並べていくと、ご先祖様が発見した神様と驚くほど一致します。
 古来より、人類は宇宙と神を結び付けてきました。ご先祖様が発見した「暗黒物質」を神様と呼んだのもある意味では当然だといえます。
「そんなことありえない」
 そう思われるのが普通です。しかし、科学の歴史とは、ありえないことが起こり続けてきた歴史でもあります。
 高田君はフェルマーの最終定理をご存じでしょうか。フェルマーは一六四〇年頃に数学上の問題についてある証明をなしえましたが、証明方法を残しませんでした。その問題がとてつもない難問で、後世の数学家が一斉に証明に取り組んだがまったく解けず、最終的に証明されたのが三百六十年後です。
 定説ではフェルマーの勘違いとされていますが、私は同意できません。
 小学校の図形問題である辺の長さを求めるとき、大学レベルの知識を用いれば計算で答えを導くことが可能です。しかし、この手の問題は、補助線を一本引いたり、図形の見方を変えたりすれば、瞬く間に解けるものなのです。
 フェルマーの最終定理にしても、我々は補助線をどこに引けばいいのか分からないだけで、フェルマーには一本の筋が見えていたような気がするのです。そうでなければ、真実であると証明されるわけがありません。仮定のほとんどは否定され、消え去る運命にあります。真実と証明されたこと自体が、フェルマーの発見が真である証拠だと私は思っています。
 暗黒物質についても同じです。
 常識的に考えれば、江戸、明治の観測技術で発見できるとは思えません。しかし、何らかの証明をしたことを否定することもできません。
 幕府最後の天文方であった山路家は、幕府瓦解とともに百年に渡って書き継がれてきた観測記録を廃棄してしまいました。間家も明治三十六年に直系が絶え、明治四十三年に裁判所の許可があり絶家となり資料が散逸してしまいました。いまとなっては、惜しい記録です。
 おそらくご先祖様は、間家のつてを頼って山路家の記録を独自に入手したか書き写したかをしたのでしょう。それに間家で続けられた観測記録を加えれば、数百年にも渡るデータが揃います。京都で暦の計算をしていた陰陽頭の土御門家の資料も手にしていたかもしれません。そうすれば千年単位のデータが得られます。
 すでにニュートン力学は知られていました。膨大なデータから様々な計算をして、見えないけど宇宙を動かす何かを見出したのかもしれません。
 それを、ご先祖様は「神様」と呼んだのでしょう。
 確かに暗黒物質の振る舞いは神様に似ています。何も言わず、何も聞こえないのですが、この世に存在して私たちを見守り続けています。そして、多いなる力で、宇宙の全てを動かしています。
 惜しむらくは、全ての記録が灰になってしまったことです。
 ご先祖の発見については、今後も謎のまま残ることでしょう。私も高田君のご先祖の発見に思いを馳せながら、研究に励みたいと思います。
 久ぶりに知的に興奮いたしました。またお手紙をいただければと思います。今度は日本酒を酌み交わしながら、ゆっくりと宇宙の話をしましょう。
 それでは、また。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html

nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:

【ショートミステリ】齊藤想『困った隣人』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第41回)に応募した作品です。
テーマは「隣人」でした。

―――――

『困った隣人』 齊藤 想

 広田孝之と千佳子の幸せな新婚生活は、新居となるマンションに引越した当日に破壊された。
 問題は隣人だ。推定年齢八十歳。一人暮らしの老婆。まだ荷ほどきも終わっていない時間帯に、彼女はやってきた。彼女は呼び鈴を鳴らすこともなく、玄関のドアを開けてきた。
「あんたねえ」
 無礼をわびるどころか、いきなりの仁王立ちだ。毛玉だらけでダボダボのウォーキングパンツ。このいでたちで平気に外に出られるところに、世代を感じる。
「挨拶もなしに引越しとはいい度胸じゃない。最近の若者は最低限の礼儀すらしらないんだねぇ」
 礼儀がないのはそっちだろう、と言いたいのを孝之はぐっとこらえる。
「今朝越してきたばかりですが」
 そう言いながら、孝之は用意してきた蕎麦を差し出した。
「ふん」と鼻であしらいながら、老婆は商品名を目線で探している。それなりの品だと確認すると、無造作に孝之の手から物をふんだくった。
「こっちは年寄だから昼寝をしないと体が壊れちまう。最近の若者は夜中にテレビをつけるわ、スマホ片手にゲラゲラ笑い転げるわでうるさくてかなわない。騒音のせいで調子が悪くなったらアンタらのせいだ。病院代をタクシー代込みで請求するからな」
「あまりに無茶ですよ」
「ムチャもヤムチャも何もない。いいか、わかったな」
 老婆はひととおり喚き散らすと、大きな音を立てて隣の部屋に戻っていった。この隣人とこの先何年付き合えば良いのだろうか。千佳子が心配そうに、孝之を見つめていた。

 老婆の来襲は毎日のようだった。宅配ピザが来たといえば怒鳴り散らし、宅配業者が来たといえば足音で不眠症になったと小金をせびりに来た。
 家にいることの多い千佳子はさらに大変だった。洗濯物をチェックしては「ハレンチ」だと千佳子を娼婦のように面罵し、ポストの中身を見ては「カタログショッピングなんて安物買いの銭失い」とつばを飛ばす。
 最悪なのは、夫婦に預金がないことだった。結婚式と新婚旅行で使い果たし、引越そうにも資金がない。頼れる親戚もいない。
 それに、近隣相場と比べてこの部屋は格安なのだ。立地も設備もよく通勤にも便利。その好条件が落とし穴だった。激安で販売された理由をもっと探るべきだった。いまさら売りに出しても買手はつかないだろう。孝之が購入したときだって、前所有者から三年のブランクがあったのだ。
 新生活が始まって二か月がたった。
 老婆の攻撃は悪化した。最近は壁に聴診器を当てて部屋の様子を伺っているらしく、孝之に対しても「若いからお盛んなのねえ」とか「くだらないバラエティばかり見ているんじゃない」とか口にする。顔を見せれば文句か嫌味だ。
 千佳子は精神的におかしくなり、ノイローゼの気配が出ている。
 もう限界だった。老婆を殺すしかない。幸いなことに、老婆には親しい友人も親戚もいないようだ。死んでもだれも気が付かないだろう。あの性格からすれば当然だ。
 季節は冬。老婆は小柄で、しわは深く、まるで固く絞って乾かしたぞうきんのような顔している。窓を開けて風通しをよくしておけば、死体は腐敗せずに死蝋化するかもしれない。いわゆる天然のミイラだ。そうなれば腐乱臭も発生しないので、何年も発見されなくてもおかしくない。
 昼間の老婆は寝ていることが多い。
 千佳子に心配をかけないよう、孝之は出勤をするふりして玄関を出た。漫画喫茶で適当に時間をつぶし、マンションに戻る。
 このマンションは、昼間はほとんど無人になる。千佳子もアルバイトに出かけている。殺人を犯すにはぴったりだ。
 孝之は指紋をつけないように手袋を二重にはめ、老婆の部屋に侵入した。老婆はカギをかけないので侵入するのは容易だ。
 案の定、老婆はコタツの中で寝ていた。どうやら書き物をしていたようで、書きかけの便せんが置いてある。そのタイトルに孝之は興味を覚えた。遺言書とある。その内容は、なんと遺産の全てを隣りの夫婦に譲るとある。
 遺書は続く。「親しい友人も親戚もなく、文句を言うだけが生甲斐のこの私の口撃に我慢してくれて感謝する。千佳子さんには悪いことをした。相続人がいないばかりに財産を国に没収されるのは悔しいので、広田家にくれてやる。いつまでも隣にいてくれ」
 孝之はなにもせず老婆の部屋を出た。
 あの老婆だから、何度も殺されかけたことあるだろう。これが老婆の作戦かもしれない。それでも、もう少しだけ、我慢してみようという気持ちになった。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:
前の10件 | - 自作ショートショート ブログトップ