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【掌編】齊藤想『ピンとキリ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第44回)に応募した作品です。
テーマは「ピン」でした。

―――――

『ピンとキリ』 齊藤想
 
 杉本は同期である石田と、若手漫才コンビ「ピンとキリ」を組んでいる。漫才師としては駆け出しだが、相方である石田がときおりTVに登場するようになったこともあり、杉本には徐々に注目度が増している実感があった。
 「ピンとキリ」が小さな地方公民館で漫才を披露して舞台の袖に戻ると、いつもは現場にこないマージャーが、満面の笑みで二人を待ち構えていた。
 相方の石田は少しモジモジとしている。杉本は嫌な予感がした。空調が足りず、額から汗を掻いているマネージャーが、いかにも期待しているといった感じで石田の肩を大げさに叩いた。
「今日から君はピンだ」
 とまどう杉本に対しては、マネージャーはおざなりに左肩に触れただけだった。
「ということで、杉本君は単なるキリだ」
「それはどういう意味ですか」
 半分以上は石田に向けて投げかけたのだが、答えたのはマネージャーだった。
「決まっているじゃないか。”ピンとキリ”は本日をもって解散し、お互いにピン芸人の道を歩むのだ。ピンだった石田はピンとして、キリだった杉本はキリとして活動してもらう。ピン芸人のピンなんて、面白いじゃないか」
「ちょっと」と杉本は抗議したが、無駄であることは、相方の表情を見て悟った。人気が出てからのコンビ解消はともかく、名前が売れる前にそれぞれの道を歩むなんて、捨てられるにしても情けなさすぎる。
 確かにネタを作るのも人気も石田だ。事務所としても、限られた仕事と稼ぎを分配するのに、実力も将来性もないタレントは邪魔なのだろう。マネージャーの脂ぎった顔を通じて、社長の本音がにじみ出る。
「ピンとキリがどちらが上なんて、まあ、あってないようなものだ。この言葉はずいぶんと歴史があって、室町時代はキリが上でピンが下だった。それが逆転したのは江戸時代のことだ。それから昭和になって、”いろいろな”、という意味が加わった。これから二人が活躍すれば、ピンキリに新しい意味が加わるかもしれない。うん、そうだ。君たちならできる。二人の力で辞書を書き換えてくれたまえ。わっはっは」
 マネージャーの作られた笑い声が、杉本には不愉快だった。

 杉本がアパートに帰ると、彼女である加藤詩織がとんかつを揚げていた。将来は結婚を意識しているが、まだ彼女を養えるだけの甲斐性はない。それどころか、貿易事務で働いている詩織に食べさせてもらっている。
「今日のライブはどうだった?」
 一枚目のとんかつが揚った。とんかつを挟んだ箸の隙間から、新鮮な油がゆっくりと鍋に落ちていく。
「まあまあ、かなあ」
 杉本はあいまいに返答した。実質的に首宣告されたなんて、口に出せない。
 再び台所からは油のはねる音が聞こえてくる。しばらく無言。二枚目のとんかつも完成。テーブルに料理が並べられる。なんとなく重苦しい食卓。
「私ねえ」と詩織が口を開く。「仕事辞めようなあ」
 最悪だ、と杉本は思った。このままだと二人で無職だ。結婚どころから明日の生活費すらままならない。だが、自分の夢のために、いつまでも詩織に甘えてもよいか。杉本はとんかつの脂をかみしめながら葛藤した。
 芸人は才能の世界だ。いくら頑張っても、ダメな芸人はダメなのだ。所詮、キリはキリだ。芸人生活はもう潮時ではないのか。
「この豚肉、とっても安いの。ピンキリだったらキリの方。だけど、とってもおいしいと思わない?」
 杉本はうなずく。マネージャーのうんちくが頭をよぎる。
「どっちがピンでどっちがキリだなんて、だれが決めるのかしらね。キリならキリでいいじゃない。私は職場ではキリだけど、独立して会社を興そうと思うの。比べるひとがいかなくなれば、ピンもキリもないからね」
 詩織は杉本のことを親よりも理解している。芸人としての実力も、将来性も。その上で、呼びかけているのだ。
「おれ、芸人から足を洗って手伝うよ」
 キリの語源は大正かるただが、キリは王様を意味する。キリだから社長になるのは、ある意味で正しい。
 しかし、詩織は小さく首を横に振った。
「直幸はそのままでいいの。芸人として頑張ってくれたら。その代わり、いつか、わが社の広告に格安で出演してね」
 杉本はとんかつの最後のひときれをかみしめた。
 何よりも大切なひとのために、自分は何をすべきなのか。
 杉本は石田とマネージャーの顔を思い浮かべながら、思考の海に引き込まれた。

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【SS】齊藤想『防犯コンサルタント』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第43回)に応募した作品です。
テーマは「商売」でした。

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『防犯コンサルタント』 齊藤想

 防犯コンサルタントは稼げそうで、稼げない。なにしろ、相談ばかりで、いざ設備投資となったら大きい契約は全て大手メーカーに持っていかれてしまう。
 特に個人営業の小さな会社はそうだ。顧客は事前相談だけで逃げてしまう。日本人は専門知識に敬意を払うことはあっても、なかなか金は払わない。そういう文化だと知っていても割り切れない。
 この前もそうだ。ピッキングが不安になり相談に来た客がいた。自宅写真を何枚か見せられたが、そのそもピッキング以前に窓枠が弱すぎると指摘した。
 頑丈に見える格子窓は、実はドイバー一本で簡単に外せる構造だし、曇りガラスは強そうに見えて脆い。しかも奥まった位置にあるので道路からも近所からも見えない。窓を小さく割って内部のシリンダー錠を跳ね上げれば、簡単に侵入できてしまう。
 私は客に早急な対策をとるようアドバイスをしたのだが、残念ながら間に合わなかったようだ。数日後に、写真で見たのと同じ家が、泥棒にやられたというニュースが流れてきた。大きな会社なら即座に工事ができたのにと、残念に思う。
 また、このようなこともあった。おとなしそうな淑女が相談に来た。高級マンションの購入を考えているが、セキュリティーが気になるという。
 近年は物騒な事件が多いので、淑女の心配ももっともなことだ。私は親身になって相談に乗ることにした。
 淑女は真剣に検討しているようで、様々な資料を持参してきた。
 私は慎重に話を聞き、図面を見て、結論を下した。これではまったくダメです。
 エントランスはインターホン式オートロックシステムとなっているが、別の住民が入るときに同時に入れば何ら障壁とはならない。常駐の管理人室があるといっても、大型マンションなので、全員の住民の顔を覚えられるわけがない。問い詰められても友人と名乗ればそれまでだ。
 しかも、淑女が購入を検討している最上階は、防犯面からすると地上階の次に弱い。各部屋のドアは様々な対策が練られていて、ピッキング、破壊、サムターン回しの全てに耐性がありそうだ。しかし、屋上がらベランダに降りて、そこから窓ガラスを割って侵入されたら終わりだ。
 ほとんどのマンションは、屋上に続く扉にまで厳重な対策はされていない。淑女が購入を検討しているマンションもその例に漏れなかった。
 屋上に続く扉の鍵の写真を見たところ、一分もあれば開けられそうな簡易な錠しかついてい。メンテナンスをしているふりをすれば、ピッキングの現場を見つかっても気づかれることはないだろう。
 購入をとどまるようアドバイスしたのだが、残念なことに、淑女は私の話を信じなかったようだ。
 私が指摘したのと同じ手口で、淑女が購入したマンションが泥棒にやられたという噂を聞いた。マンション会社が私を雇ってくれたら、より強固な防犯対策を取ることができるのに、防げる犯罪を遠くから傍観するしかないのは地団太を踏むほど悔しい。
 個人営業では鍵の販売や設置、各種防犯グッズの販売しかできない。防犯ベルなど気休めにしか過ぎない。だが、これらの小物が私の生活を支えていると思うとないがしろにもできない。理想と現実のギャップに、忸怩たる思いは募るばかりだ。
 つい最近も、このような出来事もあった。
 ある紳士から、ピッキングに強いテンプルキーを3つも付けた自慢の扉を見て欲しいという依頼があった。見た目は普通のマンションだが、中には大事な骨董品が置かれているという。「木を隠すなら森の中」ということらしい。
 確かに鍵が3つもあれば丈夫そうだが、最近はバンピングという特殊な不正解錠の方法がある。これは特殊な工具を使い、鍵内部に振動を与えることで内部のシリンダーを揃え、解錠してしまうのだ。
 紳士の扉の鍵は、バンピング対策が取られていなかった。
 私は危険性を訴えたが、紳士は信じなかった。仕方がないので、実際に同じ店にある見本の鍵をバンピングで解錠させてみせた。紳士は口をあんぐりと開けていたが、どうやら鍵の交換はしなかったようだ。ほどなくして、あるマンションから骨董品が大量に盗まれたというニュースが流れてきた。テレビ映像を見る限りだと、私が危惧したとおり、バンピングでやられたようだ。

 それにしても、ここ最近、不思議なことがふたつある。
 まったく稼ぎにならないのに相談客ばかり次から次へとやってくることと、ときおりポストに宛先人不明の小額の謝礼金が投げ込まれることと。

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【掌編】齊藤想『レンタル和尚』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第42回)に応募した作品です。
テーマは「彼岸」でした。

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『レンタル和尚』 齊藤想

 暦の上では秋なのに、残暑が厳しいな、と慶念は思った。「暑さ寒さも彼岸まで」という諺は地球温暖化が進んだ今日では通用しない。9月も後半になろうというのに生き残っているセミが、やかましく鳴き続けている。
「このたびは本当にありがとうございます」
 和服を着た淑女が丁寧にお辞儀をした。年頃は八十手前ぐらだろうか。白髪が下げながら、奥ゆかしくお布施を差し出してくる。慶念は夏用の袈裟を身にまとっているが、それでも全身から汗が噴き出してくる。早く車に戻って、冷房を全開にしたかった。
 慶念は定額制のレンタル和尚だ。依頼者が金額に後ろめたさを感じる必要はない。予約もインターネット。顔を合わせるのは法要の最中のみ。慶念は仕事として、和尚を選択した。それ以上でもそれ以下でもない。
「これはどうもありがとうございます」
 慶念は両手を合わせ、宗教家らしい仕草を見せながら、お布施をいただく。これも仕事のひとつだ。
「ところで慶念さん」
 お膳の招待だろう。慶念は断ることにしている。そのことはHPでも明記している。「依頼者のご負担を……」とかもっともらしいことを書いているが、本当の理由は数をこなしたいからだ。あらゆる分野に価格破壊が進んだ現代社会では、法要も数をこなさなくては稼げない。人間は裏切るが銀行預金は裏切らない。それが慶念の信念であり、哲学であった。
 もちろん、この薄利多売は同業者の恨みを買った。「金に汚い」「守銭奴」「生臭坊主」などつけられたあだ名は数知れない。もはや自分の異名がいくつあるか数えきれない。どの坊主も口では立派なことを言っていても、ひとかわ剥けば欲にまみれた同じ人間なのだ。
「お心遣いはありがたいのですが、次がありますので」
 慶念はいつもの切り口上を述べながら、車のキーを懐からだす。日差しの厳しい玄関先で会話を交わすのは極力避けたい。そう思っていたが、依頼者は一方的に会話を続ける。
「ところで、慶念さんは真厳さんのご子息様ですよね」
 慶念の体に錐のような電気が走った。HPには経歴を一切書いていない。それなのに、なぜ、その名前を知っている。
「真厳さんはたくさんの借金を背負われて、残念なことになったと聞いています。なにしろ、弟子がこさえた借金を肩代わりなさり、大変苦しまれたと」
 慶念はだまってうつむいた。様々な記憶が蘇る。大きく首を振った。
「その名前は知りません。人違いでしょう」
「そうですか」依頼人は残念そうに首を横に振った。「失礼なことを申しました。いま私が話したことは忘れてください」
「そうします」
 慶念は軽自動車に乗り込んだ。残り僅かな人生を楽しむセミたちは、ますます盛んに鳴き続けていた。

 慶念の自宅はアパートの一室だ。寺は持っていないし、必要もない。法具を脱ぎ去ると、メールを開き、仕事の依頼をチェックする。山のような誹謗中傷にはもう慣れた。ゴミの山のような受信箱から、探していたメールを拾い上げる。
「まだ生きています」
 月1回の定期報告だ。真厳らしく、完結で、必要最低限の言葉しかない。
 師匠の借金を返し終わるまであと少し。
 真厳はカジノにはまり、借金を重ねたあげく「弟子の借金を背負った」と嘘をついて逐電した。残された家族は寺を売り、家を売り、無一文になって路頭に迷った。借金取りは弟子の慶念のもとに押しかけ、慶念は師匠の養子になっていたこともあり、子供の義務だと割り切って払い続けている。
 坊主だって失敗するし、後悔もする。だからひとを許せる。過去を水に流せる。慶念だって、パチンコで身を崩し、無一文で路頭を迷っていたとき真厳に拾われたのだ。師匠から最低限の教育を受けたおかげで、こうして和尚として生活できている。
 坊主だって人間なのだ。助け、助けられて生きている。
 今日はお彼岸だ。実は師匠はすでに死んでいて、あのメールは来世からの私信ではないか。そのようなことを、ふと慶念は思った。

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【SF】齊藤想『祖母の神様』 [自作ショートショート]

第5回星新一賞に応募した作品です。
思いのほか進んでいる江戸時代の天文学を題材にしています。
知ればしるほどびっくりです。

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『祖母の神様』 齊藤想

 このようなことを県立天文台の館長を務められている貴職に質問するのは筋違いもしれません。
 しかし、同じ高校でともに白球を追い続けた古い知己に頼り、また館長が日本における天文観測の歴史の第一人者と聞き及ぶにつれ、ぜひともご意見を伺いたくお手紙を差し上げました。
 ご相談したいのは、曽々祖父が発見したという神様についてです。分かりやすく書くと四代前の先祖になります。
 彼は激動の時代であった幕末から明治を生きた商人でした。商人が神様を発見したとは奇妙な話かもしれませんが、祖母からそう聞いたのです。国を堅く閉ざし、技術も未熟だった江戸時代に何を発見したのかと奇異に思われるのが普通です。
 ですが、調べ始めると面白いのもので、江戸時代は現代人が想像しているより科学技術が発達していることが分かりました。お茶を運ぶからくり人形などは、日本工芸史上に残る傑作だと思います。
 しかし、素人の調査には限界があります。
 四代前が発見した神様の正体とは何か。本当に神様を発見したのか、それとも何かの見間違いなのか。
 調査が暗礁に乗り上げたときに頭に浮かんだのが、貴職のことでした。
 職務を離れた個人的なことで大変恐縮ではありますが、話だけでも聞いていただけると幸いです。

 説明のために、祖母から聞いた話を書きます。当時、私は高校生三年生でした。
 野球部を引退し、時間を持て余していた私が久しぶりに祖母の家に顔を出したところ、祖母が真面目な顔をしてこう切り出しました。
「神様は江戸時代に発見されたんだよ」
 しかも、神様の発見者は私の先祖だと言うのです。タカシは高校で一生懸命勉強しているから、実際に頑張ったのは野球なのですが、きっと先祖の大発見を証明してくれるだろうと期待しているようでした。
 祖母の名前は彩矢といいます。いつも彩矢ばぁと呼んでいます。
 彩矢ばぁによると、先祖は貧しい農家の三男として生まれたそうです。誕生は天保年間ですから江戸時代の後半から末期に当たります。
 当時の農民は、貴職もご存じの通り、貧しいというわけではありませんが、かといって裕福ではありません。余裕のある家庭は限られています。
 先祖の家の田畑は狭く、現金収入につながる換金作物もありません。曽々祖父の家は、残念ながら貧しい農家のひとつでした。
 両親に三男を育てる力はありません。先祖は幼くして大阪に出て、ある質屋に丁稚奉公をすることになりました。
 その商家の主人は学問好きで、見込みのある若者には勉強を奨励していたそうです。先祖は主人に見込まれ、独自に学問の手ほどきを受けるようになりました。その商家は代々天文観測を趣味としており、独自の観測機器を開発し、民間人でありながら日本の天文学を引っ張るような存在だったようです。
 店主は多くの業績を残したそうですが、彼はそれだけの天文学と数学の知識を有していました。残念ながら、わが家にその商家の名前は伝わっていません。
 その後、江戸幕府が崩壊し、様々な混乱の中で先祖は暇を出されました。現在の言葉に直すと失職です。武士の一部は新政府に雇われて民間人が羨むような高給を手にしましたが、新政府の恩恵は下々にまで行き渡りません。
 特に先祖は厳しい立場に追い込まれました。なにしろ商家の仕事にはほとんど手をつけず、天文観測と学問に明け暮れた人間です。これといった技術もつてもなく、失職後は大変な苦労をしたようです。
 他の奉公人からの評判も良くありません。
 同僚からすれば、先祖は本業の手伝いをせず、主人の寵愛をよそに遊びほうけていたようなものですから、時代が変わると同時に路頭に放り出されるのは当然だったかもしれません。だれも助けてくれません。雇主だった質屋の主人も、代が替わり、その頃には先祖を助ける余裕がありませんでした。
 先祖が経済的にひとごこち付いたのは、明治も中頃になってからです。
 商家の主人に見込まれただけあって先祖は優秀な人間だったらしく、自ら商売を起こし、それなりの成功を収めたそうです。
 苦労を重ねているうちに、先祖は老人になっていました。
 商売は長男に託して隠居し、悠々自適の日々を過ごしていたそうですが、突如として若い頃の情熱が蘇り、天文観測を自費で再開したそうです。
 じっとしていられない性分だったのでしょう。盆栽いじりに飽きたのかもしれません。
 時間も金も余裕がある中で、自ら天文観測をするのと同時に、質屋の主人が残した観測記録や、江戸幕府に秘蔵されていた各種書面の写しを入手して研究しました。その結果、先祖は驚くことべきことを発見したのです。
「この世には神様が存在する」
 しかも、江戸時代には既にその痕跡が記録されていたというのです。いままで誰も気が付かなかっただけで、見えるひとには明瞭に読み取れるほどの足跡だったそうです。
 先祖はその”発見”に夢中となりました。蔵に蓄えられた莫大な金銀を食いつぶしながら望遠鏡を自作し、観測し、神様の存在を”証明”することに熱中しました。
 しかし、その頃には、江戸時代にともに研鑽してきた天文観測仲間はこの世になく、先祖の研究を理解してくれるひともいませんでした。
 しかも内容が内容です。おまけに、当時の日本には、江戸時代は全て悪だという空気が充満していました。
 あまりに時期が悪すぎる。
 先祖は発表の機会を待つべく、研究結果を自宅にしまい込みました。しかし、発表する機会はついに訪れませんでした。時代の歩みは先祖の寿命を待ってくれませんでした。
 息子からすれば、財産を食いつぶす父親の趣味を快く思うわけがありません。先祖が研究を抱いたまま死亡すると、後取りは天文学など疫病神とばかりに、先祖が丹精込めて作り上げた観測器具と観測記録は、土蔵の倉庫に捨てておかれました。
 そして、太平洋戦争の空襲で、全て灰燼に帰しました。
 いま残っているのは、祖母が教えてくれた語り聞きのみです。先祖は、神様の正体について、祖母にこう伝えたそうです。
「見ることも、触ることも、音を聞くこともできないが、確実に存在する。それは、天球運行表を見れば読み解ける。神様は大いなる力で、宇宙を支配している」
 私個人の感想を問われれば、もちろん神様の存在を信じることはできません。その一方で、先祖が何らかの発見をしたことを確認したい気持ちもあります。
 先祖は何を見て、何を発見したのでしょうか。
 結論を求めるものではありません。強いて回答を求めるものでもありません。もちろん職務とは何ら関係がありません。
 それでも、自分の好奇心を抑えることができません。
 勝手なお願いで大変恐縮ですが、貴職のご意見をお聞かせ願えれば幸いです。よろしくお願いいたします。


 お手紙ありがとうございます。興味深く拝見させていただきました。
 高田君のことならよく覚えています。確か二学年下で、練習試合でファールフライを追いかけることに夢中になり、相手チームの監督にダイブして一撃でノックアウトしたのは野球部の伝説になったと聞いております。
 その高田君がいまでは県幹部職員となり、部署は違えとともに仕事をするのですから人生とは面白いものです。
 さて本題に移りますが、実は高田君のご先祖様が発見したものの正体がおぼろげに見えてきました。
 種明かしをする前に、まずはご先祖様の奉公先について説明しましょう。
 天文観測好きの質屋は存在します。それは十一屋という大阪の豪商です。
 特に有名なのが、寛政から文化にかけて活躍した七代目の間重富です。通称は十一屋五郎兵衛とよばれていました。倉が十一個もあったことから十一屋と呼ばれたのですが、重富の代には十五個まで増えました。
 彼は後取りのボンボンではありません。若くして父を失い、家業を継いだのは彼がまだ十代のころでした。かなり優秀な人物だったようで、火災であらかた失った家財を一代で立て直すなど、順風満帆だけでなく苦労を知る有能な経営者でもありました。
 間重富は単なる天文好きの豪商といったレベルではありません。
 江戸幕府で天文方をしていた高橋至時とともに寛政改暦を完成させ、さらに高橋至時の亡きあとは商人でありながら幕府天文方の指導者となり、実質的に幕府の天文研究を取り仕切っていました。晩年には日本で一番の天文学者となったのです。
 とくに観測器具の制作に優れた指導力を発揮し、天文観測専用の振り子時計「垂揺球儀」や、天体の地平から高度を測る「象限儀」などを完成させました。
 ご先祖様が仕えたのは、おそらくは重富の息子、重新の晩年でしょう。重新は若い頃から父の補佐をしながら天文学を学び、オランダ製の屈折式望遠鏡や、イギリス製の反射式望遠鏡を所有して数々の業績を残しました。白昼の水星南中観測を成功させ、未完に終わったものの、清濛気差と呼ばれていた空気の揺らぎによる光線の屈折を研究しました。
 鎖国時代というと海外の文物は入ってこないと勘違いされがちですが、厳しかったのはキリスト教だけで、宗教と無関係な文物については比較的寛容でした。特に科学技術関係は積極的に輸入され、江戸幕府の翻訳センターともいうべき蕃書調所は三千冊以上もの洋書を所有していました。
 もっともこれは昭和二十九年に上野図書館で発見された洋書だけであり、大政奉還の混乱時に散逸した可能性を考えると、倍以上あってもおかしくありません。また、幕府が入手していなくても、諸藩や民間人が所有していた本もあります。当時の日本には一万冊以上の洋書が出回っていたものと推測されます。
 天文観測は江戸幕府にとっても重要な仕事です。星空を観測し、日誌を付け、その記録を基礎資料として新たな暦を作っていました。
 当時の日本人の大多数である農民は、暦をもとにして種をまき、作物を育てます。暦には春分の日や秋分の日だけでなく、月食や日食の予測まで書かれています。しかも食の範囲と時刻もです。予測が的中してこそ、農民たちは暦を信じ、安心して作物を育てることができます。
 当時の日本にとって、暦とは政治そのものでした。
 暦の権威を守るためには、予測が正確でなければなりません。
 江戸幕府はさらに精度を上げるため、専用の天文台を建設しました。しかも周囲の環境が変わり、観測に不向きとなると移転するほど力を入れていました。
 天明二年に完成させ、後に司天台と呼ばれた浅草の天文台は、二百町四方の敷地に三丈一尺の露台を築いていました。そうした専門施設で、江戸幕府は星空を日々観察していたのです。
 重新の次代からは幼い当主が続き極端に衰えましたが、それでも間家は幕府から天文観測の命令を受けて星空の記録を取り続けていました。ご先祖は重新に才能を認められて天文観測に従事するようになったのですから、幕末まで続けた可能性が高いです。
 高田君は伊能忠敬が作成した伊能図をご存知でしょうか。
 現代地図と見間違えそうな精巧な図面ですが、この地図が作成されたのは間重富の時代です。それもそのはずで、伊能忠敬は間重富の弟子なのです。
 あれだけの図面を作れたのは、間重富が仕込んだ天文観測技術があってこそです。
 伊能忠敬は地上の測量と平行して天文観測を実施し、随時、緯度経度を補正することで誤差を修正しました。もちろん、伊能忠敬は地球の大きさを知っていました。ただ知るだけでなく、実地測量で確かめることもしました。
 江戸末期は、欧米から次々と新しい知識が入り込む時代でもありました。
 間重富の晩年にはすでにニュートン力学が日本に伝わっていました。ケプラーの第三法則にいたっては、日本に伝わってくる前から発見されていました。地球の軌道が真円ではなく楕円であることは間富重の時代から遡ること一〇〇年前の五代将軍徳川綱吉の時代には観測されていました。さらにその楕円軌道の軸が毎年変動していることも、公転が等速運動ではないことも知られていました。もちろん彗星の軌道も計算できました。
 ご先祖様が仕えていたと思われる重新のころには天王星の観測も始められており、理論値と実測値が異なる原因について議論されるレベルに到達しています。
 高田君も言われているように、一般に流布されているような江戸時代が無知蒙昧の時代という認識は誤っています。長年の平和のおかげで、新進気鋭に富んだ科学者が多数輩出された時代でした。
 ですから、ご先祖様がどのような発見をしていたとしても、驚くにはあたりません。
 観測技術はいまより劣りますが、彼らには時間があります。同じ星を百年単位で追い続けるという気の長い観測は、現代人にはまねできません。
 確かに現在は観測精度が恐ろしいほど向上しています。しかし、時間軸の長い観測という意味では江戸時代に完敗です。歴史が違いすぎます。
 そういえば、ご先祖様が発見したものの正体をまだ述べていませんでしたね。手紙を書いているうちに楽しくなってしまい、ついつい長くなってしまいました。
 いまからご先祖様が発見したものを書きます。
 これはあくまで私の推測と、ある種の願望から述べるのですが、ご先祖様は「暗黒物質」を発見したのではないかと考えております。
 暗黒物質とは現在の天文観測技術をもってしても観測不可能ですが、質量を持ち、その重力でもって宇宙を動かしている物質です。天体観測を続け、星々の動き計算した結果、存在していると推定されている物質です。暗黒物質の特徴を並べていくと、ご先祖様が発見した神様と驚くほど一致します。
 古来より、人類は宇宙と神を結び付けてきました。ご先祖様が発見した「暗黒物質」を神様と呼んだのもある意味では当然だといえます。
「そんなことありえない」
 そう思われるのが普通です。しかし、科学の歴史とは、ありえないことが起こり続けてきた歴史でもあります。
 高田君はフェルマーの最終定理をご存じでしょうか。フェルマーは一六四〇年頃に数学上の問題についてある証明をなしえましたが、証明方法を残しませんでした。その問題がとてつもない難問で、後世の数学家が一斉に証明に取り組んだがまったく解けず、最終的に証明されたのが三百六十年後です。
 定説ではフェルマーの勘違いとされていますが、私は同意できません。
 小学校の図形問題である辺の長さを求めるとき、大学レベルの知識を用いれば計算で答えを導くことが可能です。しかし、この手の問題は、補助線を一本引いたり、図形の見方を変えたりすれば、瞬く間に解けるものなのです。
 フェルマーの最終定理にしても、我々は補助線をどこに引けばいいのか分からないだけで、フェルマーには一本の筋が見えていたような気がするのです。そうでなければ、真実であると証明されるわけがありません。仮定のほとんどは否定され、消え去る運命にあります。真実と証明されたこと自体が、フェルマーの発見が真である証拠だと私は思っています。
 暗黒物質についても同じです。
 常識的に考えれば、江戸、明治の観測技術で発見できるとは思えません。しかし、何らかの証明をしたことを否定することもできません。
 幕府最後の天文方であった山路家は、幕府瓦解とともに百年に渡って書き継がれてきた観測記録を廃棄してしまいました。間家も明治三十六年に直系が絶え、明治四十三年に裁判所の許可があり絶家となり資料が散逸してしまいました。いまとなっては、惜しい記録です。
 おそらくご先祖様は、間家のつてを頼って山路家の記録を独自に入手したか書き写したかをしたのでしょう。それに間家で続けられた観測記録を加えれば、数百年にも渡るデータが揃います。京都で暦の計算をしていた陰陽頭の土御門家の資料も手にしていたかもしれません。そうすれば千年単位のデータが得られます。
 すでにニュートン力学は知られていました。膨大なデータから様々な計算をして、見えないけど宇宙を動かす何かを見出したのかもしれません。
 それを、ご先祖様は「神様」と呼んだのでしょう。
 確かに暗黒物質の振る舞いは神様に似ています。何も言わず、何も聞こえないのですが、この世に存在して私たちを見守り続けています。そして、多いなる力で、宇宙の全てを動かしています。
 惜しむらくは、全ての記録が灰になってしまったことです。
 ご先祖の発見については、今後も謎のまま残ることでしょう。私も高田君のご先祖の発見に思いを馳せながら、研究に励みたいと思います。
 久ぶりに知的に興奮いたしました。またお手紙をいただければと思います。今度は日本酒を酌み交わしながら、ゆっくりと宇宙の話をしましょう。
 それでは、また。

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【ショートミステリ】齊藤想『困った隣人』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第41回)に応募した作品です。
テーマは「隣人」でした。

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『困った隣人』 齊藤 想

 広田孝之と千佳子の幸せな新婚生活は、新居となるマンションに引越した当日に破壊された。
 問題は隣人だ。推定年齢八十歳。一人暮らしの老婆。まだ荷ほどきも終わっていない時間帯に、彼女はやってきた。彼女は呼び鈴を鳴らすこともなく、玄関のドアを開けてきた。
「あんたねえ」
 無礼をわびるどころか、いきなりの仁王立ちだ。毛玉だらけでダボダボのウォーキングパンツ。このいでたちで平気に外に出られるところに、世代を感じる。
「挨拶もなしに引越しとはいい度胸じゃない。最近の若者は最低限の礼儀すらしらないんだねぇ」
 礼儀がないのはそっちだろう、と言いたいのを孝之はぐっとこらえる。
「今朝越してきたばかりですが」
 そう言いながら、孝之は用意してきた蕎麦を差し出した。
「ふん」と鼻であしらいながら、老婆は商品名を目線で探している。それなりの品だと確認すると、無造作に孝之の手から物をふんだくった。
「こっちは年寄だから昼寝をしないと体が壊れちまう。最近の若者は夜中にテレビをつけるわ、スマホ片手にゲラゲラ笑い転げるわでうるさくてかなわない。騒音のせいで調子が悪くなったらアンタらのせいだ。病院代をタクシー代込みで請求するからな」
「あまりに無茶ですよ」
「ムチャもヤムチャも何もない。いいか、わかったな」
 老婆はひととおり喚き散らすと、大きな音を立てて隣の部屋に戻っていった。この隣人とこの先何年付き合えば良いのだろうか。千佳子が心配そうに、孝之を見つめていた。

 老婆の来襲は毎日のようだった。宅配ピザが来たといえば怒鳴り散らし、宅配業者が来たといえば足音で不眠症になったと小金をせびりに来た。
 家にいることの多い千佳子はさらに大変だった。洗濯物をチェックしては「ハレンチ」だと千佳子を娼婦のように面罵し、ポストの中身を見ては「カタログショッピングなんて安物買いの銭失い」とつばを飛ばす。
 最悪なのは、夫婦に預金がないことだった。結婚式と新婚旅行で使い果たし、引越そうにも資金がない。頼れる親戚もいない。
 それに、近隣相場と比べてこの部屋は格安なのだ。立地も設備もよく通勤にも便利。その好条件が落とし穴だった。激安で販売された理由をもっと探るべきだった。いまさら売りに出しても買手はつかないだろう。孝之が購入したときだって、前所有者から三年のブランクがあったのだ。
 新生活が始まって二か月がたった。
 老婆の攻撃は悪化した。最近は壁に聴診器を当てて部屋の様子を伺っているらしく、孝之に対しても「若いからお盛んなのねえ」とか「くだらないバラエティばかり見ているんじゃない」とか口にする。顔を見せれば文句か嫌味だ。
 千佳子は精神的におかしくなり、ノイローゼの気配が出ている。
 もう限界だった。老婆を殺すしかない。幸いなことに、老婆には親しい友人も親戚もいないようだ。死んでもだれも気が付かないだろう。あの性格からすれば当然だ。
 季節は冬。老婆は小柄で、しわは深く、まるで固く絞って乾かしたぞうきんのような顔している。窓を開けて風通しをよくしておけば、死体は腐敗せずに死蝋化するかもしれない。いわゆる天然のミイラだ。そうなれば腐乱臭も発生しないので、何年も発見されなくてもおかしくない。
 昼間の老婆は寝ていることが多い。
 千佳子に心配をかけないよう、孝之は出勤をするふりして玄関を出た。漫画喫茶で適当に時間をつぶし、マンションに戻る。
 このマンションは、昼間はほとんど無人になる。千佳子もアルバイトに出かけている。殺人を犯すにはぴったりだ。
 孝之は指紋をつけないように手袋を二重にはめ、老婆の部屋に侵入した。老婆はカギをかけないので侵入するのは容易だ。
 案の定、老婆はコタツの中で寝ていた。どうやら書き物をしていたようで、書きかけの便せんが置いてある。そのタイトルに孝之は興味を覚えた。遺言書とある。その内容は、なんと遺産の全てを隣りの夫婦に譲るとある。
 遺書は続く。「親しい友人も親戚もなく、文句を言うだけが生甲斐のこの私の口撃に我慢してくれて感謝する。千佳子さんには悪いことをした。相続人がいないばかりに財産を国に没収されるのは悔しいので、広田家にくれてやる。いつまでも隣にいてくれ」
 孝之はなにもせず老婆の部屋を出た。
 あの老婆だから、何度も殺されかけたことあるだろう。これが老婆の作戦かもしれない。それでも、もう少しだけ、我慢してみようという気持ちになった。

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【ホラー】齊藤想 『火迎え』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第40回)に応募した作品です。
テーマは「お盆」でした。

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 『火迎え』 齊藤 想

 八月十三日。お盆の入りの日。漆黒の闇に、松明の炎が二度回る。一度目はすばやく、二度目はゆっくりと。
 松明が円運動の頂点に達したところで、美和は小学六年生の従妹に命じた。
「そのまま、動かないで」
 束ねられた木切れがはぜる音と、松脂が焼ける香りがする。じりじりと火が顔に近づいていく。
「美和さん、まだなの?」
 いかにも残念そうに、美和は小さく首を横に振った。
「これはご先祖様を迎え入れる大切な儀式なの。さっきから松明の炎の強さはまったく変わっていないじゃない。それはまだご先祖様がきていない証拠なの。それとも、吉海は自分からやると決めたことなのに、途中で投げ出すつもりなの?」
 そう言われると、小学六年生には反論できない。
 幼い少女は仕方なしに、細い腕を震わせながら、松明をより高く掲げた。

 美和が「火迎え」という風習を初めて体験したのは、小学五年生のときだった。
 母は義理の両親と仲が悪く、父の実家に帰りたがらなかったのだが、さすがに毎年無視するわけにはいかず、仕方なしに数年ぶりに帰省した。
 祖父母は美和を大歓迎してくれた。毎日のゴチソウに、近所のデパートや観光地に美和を連れ回した。それが実家を継いだ叔父の勝義は面白くなかったらしい。都会で暮らす弟が羨ましかったのかもしれない。
 帰る前の日、勝義は少し酒の入った口調で、美和に向ってこう言った。
「都会で成長している美和にも、父の出身地である栗光村の伝統を継いでもらわないとなあ。高巳もそう思うだろう」
 父は少し後ろめたさがあったのか、「そうだよな」と同意するしかなかった。
 そうして連れ出されたのが、「火迎え」という儀式だった。
 儀式自体は簡単なものだった。お盆の前日に、先祖代々の墓地の前に立ち、火のついた松明を二度回す。最後に松明を高く掲げ、炎がより高く上がったら「ご先祖様が通り過ぎた」と見なされ、火迎えは終わる。
 この儀式の醜悪な点は、ただでさえ木々に囲まれて風が通りにくい上に、「炎が高く上がったかどうか」を判断するのは祭祀者に任されているところだった。しかも、先祖を迎えにいくのは、なぜか子供の仕事と決まっている。
 つまり、祭祀者が首を縦に振らないかぎり、子供は松明を掲げ続けなければならないのだ。
 美和が異変に気がついたのは、松明を掲げ始めてすぐだった。叔父は「儀式だから」と真剣な顔つきになり、腕の位置や姿勢を事細かに指導してきた。ごわついた手のひらで体をベタベタ触られ、思わず不快な声を上げてしまった。
 それが、さらに叔父の気を悪くしたようだ。
 体に触れてこなくなった代わりに、叔父は美和にいつまでも松明を掲げさせた。炎が松明を下っていき、髪の毛に火花が飛ぶ。腕の筋肉が張り詰め、少しでも姿勢が崩れると木の棒で小突き、無理やり松明を頭の上に置こうとする。
 美和の頭に浮かんだのは「恐怖」の二文字だった。叔父は狂っている。暗闇に浮かぶ目を見ながら、そう思わざるを得なかった。
 伝統の名を借りた拷問が終わったのは、だれかの足音がしたからだった。
 突然、叔父は表情を柔らかくして、だれかに聞かせるように「よく頑張ったね」と優しい声をだした。
 両親が心配して儀式を見に来たのだ。叔父は露骨に顔を歪めると、私にだけ聞こえるように「チッ」と舌打ちをした。美和にとってこの儀式は悪夢と同じで、このときの記憶が蘇るたびに、美和の心を苦しめ続けた。

 吉海は「まだなの?」と重ねて聞いてきた。
 風は何度も通り抜け、そのたびに炎が高く上がる。この従妹は憎きあの叔父の子だ。叔父が体調不良であることと、祖父母が高齢になったこともあり、一家はときおり実家に帰るようになっていた。
 力関係は完全に逆転していた。
 父の実家に帰ると、母はこの古い家の全てを取り仕切る。美和も大きな顔ができる。だから、いまは憎い叔父の子を「火迎え」の儀式に連れ出すことに、叔父も祖父母も反対できない。
「ねえ美和さん」
「うるさいねえ、マダといったらマダなの」
 美和はピシャリとはねつけた。高齢になってから生まれた娘を、叔父が溺愛していることを知っている。従妹が困惑する表情を見て、歓喜の感情が湧き上がる。幼いころに受けた屈辱が、洗い流されていく。
 伝統は引き継がれるべきなのだ。それに、幼いころに受けた恨みも。

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【掌編】齊藤想『ゴチソウ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第39回)に応募した作品です。
テーマは「穴」でした。

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『ゴチソウ』 齊藤想

 診察室のドアが開く。
 不安そうな小さな顔が覗く。少女は母親の手を硬く握りしめている。母親に促されて丸椅子に座る。両足はまだ床に届かない。
「大丈夫だよ、安心して、眼を閉じて。それではお話を聞かせてもらえるかな」
 ここは心療内科クリニック。診療を続けていくうちに、いつしか、私は心の穴を覗くことができるようになっていた。心の闇を直接触ることができるのだ。
 いつものように優しい言葉を投げかけながら、少女の緊張をほぐしていく。心の穴を探る前の準備作業だ。
 精神病の原因は心の穴にある。治療方針は心の穴を埋めること。だれもが楽しい思い出を持っている。そうした思い出を記憶の底から探り出し、心の穴を塞ぐ。そうすれば、子供は見違えるように元気になる。
 少女の心を探ったところ、いじめの原因は些細なものだった。友人の万引き行為を教師に告げ口したと疑われたのだ。もちろん悪いのは万引きをした友人だ。それなのに、少女が経済的に恵まれていることへの嫉妬が混ざり、陰湿ないじめに繋がった。
 もちろん少女は告げ口をするようなタイプではない。専門家として断言できる。
 目の前の少女も、徐々に心がほぐれてきたようだ。いじめが始まるまでは円滑な学校生活を送っており、家族関係も良好。心の穴を埋める思い出はたくさんある。心因的な症状も、一時的なものだと判断できた。
 作業は簡単に終わった。催眠状態にあった少女を起こしながら、母親と少女にアドバイスをする。
「楽しくなるような思い出を、たくさん供給してあげてください」
親子は「ハイ」と元気な返事をした。
 しかし、今日の患者は変わっていた。暗い表情をした年は、施設のスタッフに連れられてきた。その様子は警戒しているようでもあり、怯えているようでもあった。
「今日の気分はどうかな」
 少年は答えない。スタッフが何度か返事を施すと、小さな声で「ベツニ」と答えた。
 これは時間がかかりそうだ。問診票を読むと、彼は幼いころに両親に捨てられ、施設で育てられていると書いてある。里親が見つかったこともあったが、少年の心を開かせることができず、施設に戻されるということを繰り返しているらしい。
 私はカルテを机の上に置きながら、他愛のない質問を繰り返した。名前とか、好きな食べ物とか、最近見たテレビとか。
 少年の答えは全て「ベツニ」だった。
「いつもこのような感じなのです。良い薬があればよいのですが」
 少年を預かっている施設のスタッフは、いかにも困っている表情をした。
 私は少年に催眠術を施すと、心を覗きこんだ。驚いたことに、少年の心には巨大な穴が開いている。というより、少年の心は穴そのものだった。
「薬を必要とする病気ではありません」
 少年の表情は変わらない。ここまで少年の心を奪った原因は何か。私はスタッフを疑った。
「またきます」
 私の視線に耐えられなくなったのか、スタッフは少年を連れて診療所を後にした。
 少年は月1回のペースで来院した。少年の治療は難航した。心の穴を埋めるような思い出がなく、彼の心は洞だった。
 私は毎回彼の心の奥底まで手を突っ込み、何か手がかりはないかと探り続けた。
 しかし、全ては徒労だった。彼の心には何もない。
「ベツニ」
 少年の声が耳に響く。
 ついに私は最後の手段を取ることにした。彼の心の穴を埋めるために、自らの思い出を少年に移植するのだ。
「今日はいつもと違う治療をしよう」
 私は少年に優しく声をかけた。少年はわずかに顔を上げた。興味を引いたようだ。
「少し目を閉じてごらん。いつもより、ゆっくりと、ゆっくりと」
 強い催眠術を前にして、施設のスタッフは船をこぎ始めた。少年の眼は冷めている。それでも続けるしかない。私は自分の心を手で掬い取ると、少年の心の穴に貼り付け続けた。初めはゆっくり、徐々にペースを上げていく。
 最後のひと掬いを少年の心に埋める。まるでパズルのピースのように、綺麗にはまる。
 治療は終わった。疲労感が私を包み込む。少年の心は思いのほか広く、私の心にぽっかりと穴が開いてしまった。いわゆる気の抜けた状態だ。
「気分はどうかな」
 私の問いかけに、少年は笑った。
「ゴチソウサン」

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【掌編】齊藤想『鮎釣り』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第38回)に応募した作品です。
テーマは「鮎」でした。

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『鮎釣り』 齊藤想

 四階建ての小さな社宅に下着泥棒が現れたとき、桑田の頭に浮かんだのは、最近引っ越してきたばかりの葦原という男だった。彼は仕事が終わると、裏側にある空地で釣竿を振り、鮎つりの練習をしていた。
 下着泥棒があまりに頻発するので、社宅の代表として桑田は地元の防犯会議に呼ばれていた。防犯会議といっても、メンバーは桑田の他に自治会長と副会長がいるだけだ。自治会長の奥さんが淹れてくれたお茶をすすりながら、井戸端会議に毛の生えたような話し合いが自治会長宅の縁側で続く。
「葦原さんにはあんなに綺麗な奥さんがいるのにねえ」
 というのが自治会長の言葉だ。ようするに葦原が釣り針で下着を引っ掛けて、盗んでいるのだろうと推測している。近所で植木屋をしている副会長も同意する。
 下着泥棒が頻発するようになった時期と、蘆原が引っ越してきた時期が重なっていることも、自治会長の推測を裏付けていた。
「ところで桑田さん」と自治会長が尋ねる。「葦原さんについて、社内で何か噂は聞いていないかね。例えば過去に性犯罪を犯したことがあるとか」
 これを聞くために、桑田は呼ばれようなものだ。
「そのような話は聞いたことがありませんし、もし警察に逮捕されていたら会社を首になっています。ちなみに、蘆原は鮎つりのために地方都市を希望したと聞いていますが」
「田舎者をなめてもらっては困る」
 赤ら顔の副会長が怒り始めた。どうやら、葦原は人の目が少ないから犯罪を起こすのだと決め付けているらしい。副会長は都会人への反発も隠そうとしない。まあまあ、と綺麗に禿げ上がった自治会長がなだめる。
「警察に任せるべきでは」と桑田が常識的な意見を言うと、自治会長が静かに首を横に振った。
「犯罪者を出すことは地域の恥になります。警察が捕まえる前に我々で捕らえて、このような行為を止めさせなければなりません。だから我々で見回りをするしかないのです」
 桑田は困ったことになったと思いながら、かといって自治会長に逆らうこともできず、静かにお茶をすすった。
 次の日から、毎日張り込みをすることになった。社宅の裏側はススキが生い茂っており、隠れるのに丁度良かった。ただ、夜になると寒かった。
 観察をしていると、葦原は毎晩のように鮎つりの練習をしていた。鮎は友釣りといって鮎の攻撃性を利用して釣り上げる。擬似鮎を縄張りの中に投げると、鮎が追い出そうとする。そのときに釣り針をひっかけるのだ。
 三人が「こんばんわ」と挨拶をすると、葦原は静かに会釈を返し、まるでまずいシーンを見られたかのように部屋に戻る。
「やっぱりあいつが怪しいのではないか」
 副会長が桑田に詰め寄る。そういわれても、確たる証拠もなく同僚を責めることもできない。桑田が黙っていると、自治会長が副会長に提案した。
「三人で見回っては、目立ちすぎて犯人も警戒する。毎日もしんどいので、日にちを決めて、一人ずつが良いのではないか。ススキの影に隠れていれば、犯人にも見つからないだろうし」
 桑田も連日はしんどいなあと思っていたので、すぐに同意した。なにより同僚を監視するようなことはしたくない。副会長はしぶしぶ同意した。
 しばらくして犯人が捕まったとの情報が入った。ススキに隠れていた葦原が、鮎つりの道具で犯人を捕まえたのだ。
 下着泥棒の犯人は副会長だった。桑田は副会長が植木屋であることを思い出した。仕事道具である高枝挟みで下着を盗んでいたのだ。
 副会長は葦原の妻が美人であることに憧れをいだき、盗みを繰り返したが、目標を隠すために隣近所の下着も盗んでいたという。
 葦原は当初から植木屋が怪しいと睨み、自治会長に相談していたという。三人の見回りも、桑田を巻き込んだのも、副会長をおびき出す作戦だった。見回りの日を決めれば、見回りのない日に副会長が動くに違いない。
 副会長が動く可能性が高い日に、葦原は鮎つりの練習から帰るふりをして裏庭に戻り、じっと待ち続けた。三人が見回った日に、鮎つりから帰るところをみせたのも、副会長を油断させる作戦だった。
 副会長は葦原が鮎つりから戻るのを見て、裏庭が無人になったと思い込み侵入したが、犯行に及ぶ直前に密かに戻ってきた葦原に釣り上げられた。副会長は突然飛んできた擬似鮎を交わすことができなかったという。
 葦原は、今日も裏庭で鮎つりの練習をしている。

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【掌編ミステリ】齊藤想『完全犯罪』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第37回)に応募した作品です。
テーマは「運」でした。

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『完全犯罪』 齊藤想

 プランは完全に整えた。アリバイも完璧。あとの問題は、この毒を夫の卓也が口に含むかどうか。それは運にゆだねられている。
 裕子が卓也に殺意を覚えたのは、結婚後まもなくだった。
 恋人時代は魅力的だと思った卓也の男らしいところだが、半年と経たないうちに、それは単なる支配欲と権力欲の裏返しであることを知らされた。一挙手一投足まで束縛される毎日に息苦しくなり、何度も離婚を持ちかけた。そのたびに「世間体が悪い」と暴力をふるわれて、いつしか奴隷のような生活を強いられるようになった。裕子は不幸のどん底だった。
 夫は運送会社を経営し、自らも長距離ドライバーとして働いている。
 卓也は家を空けることが多く、得意先で様々な女を作っているようだった。ときおり深夜に帰宅しては、レイプのような性交渉を求めてくる。こうしてダラダラとこの男との生活を続けていくのかと思うと、絶望感があふれてくる。
 閉塞した状況から抜け出すには、卓也を殺害するしかない。夫は会社経営者でなので保険金も高額だ。たまにしか帰宅しないので、準備する時間も十分にある。条件は恵まれている。
 やるしない。裕子は決断した。
 警察に捕まったら元も子もない。準備には慎重に慎重を重ねた。毒はトリカブトを使うことにした。毒殺と分からなければ、急性心筋梗塞のように見えるらしい。実際にそのよな事件があった。
 裕子はハイキングと称して天然のトリカブトを集め、ひそかに蓄えた。毒物の抽出方法がわからなかったので、根を乾燥させて粉にした。調べればよいのかもしれないが、インターネットを使えば履歴から警察に気づかれる。図書館や書店は論外だ。
 毒物の濃度が不明なので、トリカブトだけでは不安だ。保険をかける意味で、自ら船を出してフグも釣り上げた。フグもよく中毒を起こす食材だ。近所の主婦仲間から「最近、アクティブになったわね」と言われたが、なんとかごまかした。失敗は許されないのだ。
 プランも整えた。
 まず卓也にフグの刺身を食べさせ、食後のお茶にトリカブトを煎じて含ませる。
 ひとつの毒でも致命傷を与えられるのに、ダブルなら効果倍増だ。仮にひとつは失敗してももうひとつで仕留められる。素人による殺人なので、何重にも予防線を張らなければならない。
 問題は、いつ卓也が帰ってくるかだ。数日間も刺身を取っておくのは不自然だ。フグは簡単に獲れるものではない。しかも漁師の協力を仰ぐわけにはいかないので、素人がひとりで海に出るのだ。この条件でフグを釣り上げるのは、奇跡に近い。
 ところが、その奇跡が起きたのだ。
 フグを三枚に下ろした翌日に卓也が帰ってきた。彼は上機嫌だった。仕事がうまくいったらしい。さらに車を増やし、ドライバーを雇いいれ、会社を大きくするという。
 将来への夢を語る時に卓也は素敵だった。恋心を抱いていたころを思い出す。しかし、この思いは何度も裏切られきた。この好機を逃してはならない。
 裕子は卓也に刺身を出した。いつもなら卓也がひとりで食べる。それが何の拍子か「一緒に食べよう」と裕子に勧めてきた。
 この家にとって、卓也の命令は絶対だった。フグ毒の致死量は知らない。そもそも、刺身にどれくらい毒が含まれているのかもわからない。裕子は怪しまれない程度にふた切れを口にした。トリカブト入りのお茶も勧められた。裕子は絶望的な気持ちになった。やはり私は不幸な女なのだ。幸運など訪れるはずがない。裕子は短い人生を振り返りながら、お茶を口に含んだ。苦い味がした。目の前が暗くなり、そのまま気を失った。
 しかし、裕子は死ななかった。そして卓也も。
 あとでわかったことだが、トリカブトの毒ととフグ毒はお互いに打ち消しあう効果があるらしい。お互いに口にした分量が奇跡的にも釣り合って、綺麗に解毒されたのだ。
 裕子の気持ちはすっきりして、卓也も会社経営が順調なためか優しくなった。経営者としての自覚ができたためか、愛人とも手が切れたようだ。娘も誕生した。それは夫に似た、愛くるしい目をしていた。
 あのとき、卓也が死んでいたらどうなっていたのか。裕子は、とても運に恵まれていると、思えるようになってきた。

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【掌編】齊藤想『失格』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第36回)に応募した作品です。
テーマは「星」でした。

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『失格』 齊藤想

 ファミリーレストランの客席に設置された丸時計は、深夜〇時を越えようとしていた。
 静かというよりけだるい空気が漂う空間で、いたいけな少女は、四十代になるマネージャーの前で泣き続けていた。声を漏らさないように口元をハンカチで覆うが、全てを隠しきれるわけではない。
 彼女は、先ほどから同じ言葉を繰り返している。
「私、引退したいんです」
 彼女の名前は濱田風香で、大人数で活動するアイドルグループに所属している。人気グループとはいえテレビやメディアで取り上げられるのはごく一部で、大多数は、人気メンバーが忙しいときの人数合わせとして扱われている。
 それでも、両親は、自慢の娘が雑誌に乗ったと喜んでくれた。
 それを引退するという。
「卒業、したいのかな?」
 マネージャーが確かめるように言うと、風香は「引退したいんです」と繰り返した。きっぱりとした言い方だった。
 風化は吉岡栞里の名前を出した。栞里はグループの中心メンバーで、ファンによる人気投票一位の常連だ。
「茉里たちはグループの太陽です。輝いています。テレビにラジオに撮影にと引っ張りだこで、休む暇もありません。私も頑張れば太陽になれると思っていた。もっと輝けると信じていた」
 少女はハンカチを握る手に力を込めた。きっと泣きたいのを我慢しているのだろう。負けた自分を情けなく思っているのだろう。
 マネージャーの高梨は、風香の震えが収まるのを待った。
「けど、私は単なる六等星にすぎません。小さな星は決して太陽になれない。そう気がついてしまったのです」
 いわるゆる心が折れた、という状態だ。マネージャーはため息をついた。高梨は新入社員ではない。それなりの経験を積んでいるし、担当したタレントも一人や二人ではない。こういうときの対処は心得ている。
「風香はオリオン座を知っているかい。冬の星座で、三つ並んだ星が有名な星座だ」
 風香は小さく首を縦に振った。もちろん、の意思表示だ。
「オリオン座には夜空にひときわ輝くベテルギウスやリゲルのように有名な星もあるが、大多数は世間に知られていない。あの三ツ星の名前を知っている日本人がどれだけいると思うかい。それでも、有名なオリオン座の一部となっていることで、世界中のひとたちに親しまれている。次に、風香はおおいぬ座のことは知っているか?」
 今度は首を横に振った。
「オリオン座と同じく冬の星座で、全天で最も明るいシリウスを引き連れているが、こちらはまったく知られていない。シリウスはともかく、その隣にある小さな星など、だれも目にとめない」マネージャーは少し間を置いた。「同じ星なのにね」
 風香は少し迷っているようだった。目が揺らいでいる。
「つまり、ぼくが言いたいのは、有名な星座に所属していることを幸せに感じて欲しいということだ。だれもがシリウスやペテルギウスになれるわけではない。だけど、それが全てではないんだ」
「私なんて……」
「一等星だけで星座は描けない。夜空には、いろいろな星があるんだ」
 風香は小さくうなずいた。
 実のところ、アイドルは使い捨てだ。人気がなくなれば、彼女たちは「卒業」という美名の元に消えていく。だから、アイドルは恒星ではなく流れ星だ。マネージャーだって彼女に「君はもうすぐ燃えつきるんだよ」と教えてあげたい。だが、組織人として、その言葉を口にすることはできない。
 彼女は芸能事務所の飯の種だから。
「もうすぐ、ふたご座流星群の季節ですね」
 風香は窓の外を見ながらつぶやいた。高梨はほほが緩むのを感じた。風香は高梨が言いたいことを悟ってくれたようだ。
「私、星について勉強します。大学に通って何か資格を取って、うまくいけばバラエティに進出して、それができなくても新しい仕事を始めて……」
 風香のおしゃべりは止まらない。彼女は気がついてくれた。いまのままでは燃え尽きる流星だが、努力次第で何回でも地球を訪れる彗星になれる。
 会社の利益を考えるなら、いまのままで良い。それでも、彼女の幸せを願う気持ちを捨てられない。
 マネージャー失格かな、という言葉を、高梨は無糖のエスプレッソとともに飲み込んだ。

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