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【掌編】齊藤想『不思議なカメラ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第21回)に応募した作品です。
テーマは「カメラ」でした。

―――――

『不思議なカメラ』 齊藤想

 いきつけのファミレスでぼくが古いカメラのフィルムを巻き上げていると、彼女が興味深そうに眺めてきた。彼女はフィルムカメラを知らない。ぼくも二週間前までは同じだった。たまたま祖父が死亡し、形見分けとして貴重そうなカメラをもらってきたのだ。
「何をしているの?」
「フィルムを巻き上げている。じいちゃんの形見だ」
 カメラの右上にある小さなレバーを押し込むたびに、フィルムを巻き取る歯車の音が聞こえてくる。いかにもアナログといった感じだ。全体的にゴツゴツとしており、まるで大砲のようなレンズが付いている。重量感も抜群で、振り回せば大人を殴り殺せそうだ。
 試し撮り、と言ってぼくがシャッターを切ると、彼女は不思議そうな顔をした。カシャカシャとゴキブリが新聞紙の隙間を走り回るような音がする。しばらくしてシャッターから指を離す。
「撮影した写真はどうやって見るの?」
「現像するんだ」ぼくはフィルムカメラの仕組みを説明する。とにかくお金がかかる。
「ずいぶんと無駄なのね」と彼女は笑った。
 けど、この無駄が大事なのだ。
 このカメラが不思議な力を持っていることを知ったのは、単なる偶然だった。
 ぼくは祖父のカメラを手にすると、そのままアンティークショップに持ち込んだ。ところが、中途半端な古さのため市場価値はなく、おまけに巻き取り機構が壊れていると指摘された。普通は一枚撮影したら一コマ分しか巻き取れないが、祖父のカメラは何枚でも巻き取れる。おまけに撮影するたびに歯車が軋む騒がしい音がする。
「修理しますか? 安くしておきますよ」
 そう言われたが、もちろん断った。
 そのまま捨ててしまうのも祖父に悪い気がしたので、数枚だけ風景を撮影してみた。現像した枚数だけお金がかかると知っていたので、三枚だけ撮影して、まだ辛うじて生き残っている駅前の写真屋に出した。
 そうしたら、不思議なことに、なぜか十二枚も現像されてきた。撮影した記憶のない写真が混じっている。よく見ると、それらは撮影の間を埋めるような写真だった。
 ぼくは気が付いた。
 このカメラには不思議な力がある。まるでカメラだけタイムマシンに乗ったように、写真と写真の間を埋めてくれるのだ。この力を使えば、とんでもない写真が撮れる。
 だから思った。彼女を一枚だけ撮影して、数日後にまた撮る。そうすれば彼女の生活をのぞき見できるかもしれない。上手くいけば、ぼくのまだ知らない彼女の柔肌が写るかもしれない。
「そのカメラ見せてよ」
 断るのも変なので、彼女に渡した。
 彼女はカメラを裏返しにして、スマホをいじり始めた。自分も高校生だが、親からスマホを禁止されている。彼女がうらやましい。
「お金が掛かるから撮影したらダメだよ」
 分かっている、といいながら彼女はスマホで調べながら楽しそうに操作している。その無邪気な様子を見ていると、ぼくは自分の行為が恥ずかしくなってきた。いったい自分は何を考えているのか。
「このカメラだけど、実は壊れている」
 フィルムを巻き取ろうとする彼女を見て、ぼくは口にしていた。彼女の瞳を前にすると良心の呵責に耐えられない。心の堤防が決壊すると、あとは秘密の洪水だった。彼女の私生活をのぞき見しようとしたことを除いて全てを語り終えたとき、彼女はカメラをテーブルに戻した。
「別に不思議でもなんでもないよ」
「え?」
 彼女がシャッターの脇にある小さなボタンを指さす。
「だって、これ連写モードになっているじゃない。大輔は一枚だけ撮影したつもりだったけど、実は何枚も撮影していたのよ。本当は自動巻取りで巻き取れないはずだけど、このカメラは壊れているから一枚撮影したのと同じように巻き取れたというわけね」
 彼女が軽くシャッターに触れると、カメラが騒がしく唸り続ける。
「異音がするから分かりにくいけど、これはカシャカシャ何回もシャッター切っている音なのよ。それはそうと、大輔はこのカメラで何を撮影しようしていたわけ?」
 制服姿の彼女が迫ってくる。ぼくの背中に冷や汗が流れる。
「まあ、そこが大輔のいいところなのよね。隠し事ができないところが」
 祖父はカメラが縁で祖母と結ばれたという。
 今回の件はぼくの勘違いだったかもしれないけど、このカメラに不思議な力があることだけは間違いないようだ。

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【随筆】齊藤想『聞き語り』 [自作ショートショート]

第3回平和のメッセージコンテストinちくぜんに応募した作品です。
テーマは「誰かに伝えたいこと」「誰かに語り継ぎたいこと」でした。

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齊藤想『聞き語り』  
               

 今年は戦後六十九年(注:応募当時です。以下同じ)になる。
 もう十年近く前になるが、たまたま数人の老人たちから個別に戦争体験を聞いたことがある。元兵士たちも当時で既に八十代半ばだ。
 私は戦争体験を聞きに行ったわけではない。たまたま仕事で老人たちのご自宅に伺うことがあり、そこで雑談をしているうちに、自然と戦時中の話になった。だから、脚色もなく、政治色もなく、お茶を飲みながら素のままの体験談といえる。
 しかし、こうした貴重な体験も、このままでは消えゆくのみ。
 話を聞いたものの努めとして、こうした機会を活かし、戦争体験者の話を残しておきたいと思う。

【A氏の話】
 私がA氏から話を聞いたとき、彼は八十三歳前後だったと記憶している。逆算すると、終戦時は二十二歳前後となる。
「本土決戦が叫ばれるようになったころ、赤紙が来て召集された。行き先は山を何個か越えると着く静岡県の海岸。交通網がズタズタにされていたので、そこまで歩かされて、その場でスコップとつるはしを渡されて崖に穴を掘れと命令された。本土決戦のための塹壕を作るのだと。
 本音は「何を馬鹿なことを」と思ったが、命令だから仕方がない。
 食料もなく、機材もなく、人力だけの作業なので遅々として進まない。そのうち、終戦直前だったと思うが、故郷が空襲を受けたという情報が入った。それでも、国のためだとみんなでスコップを振るい続けた。それなのに、なんと隊長が「心配だから」と故郷に帰ってしまった。戻りたいのはみんな同じだというのに、なんという体たらくだ。隊長がいなくなったので、あとはみんなでダラダラ過ごした。
 ちなみに本当は近所のH氏も召集されるはずだった。しかし、あいつは目が悪いとうそをつき、戦争から逃げた。卑怯なやつだ。いまでも大嫌いだ。あいつはいまでも近所からのけものにされている。
 終戦はその海岸で迎えた。
 解散命令が出て、武装解除の後、歩いて自宅まで戻った。戦争はやるもんじゃない」

※ちなみにHさんのご自宅にも仕事で何(むしろA氏以上に)伺いましたが、一度も戦時中の話は出ませんでした。視力も普通で、A氏と同い年ですがご健康でした。

【B氏の話】
 B氏もA氏と同じ時期にお話を聞きました。A氏より若干年上で、当時八十六歳前後だったと記憶しています。終戦当時は二十五歳前後だったはずです。小柄なかたでした。
「赤紙で召集されて、南洋の島に派遣された。武器も兵も少なかったので、攻められたらひとたまりもなかっただろう。けど、幸運なことに、アメリカ軍は終戦までこの島にやってこなかった。命拾いした、という気持ちだ。
 大変なのは日本が降伏した後だ。
 なにしろ船舶が枯渇していたので、引き上げ船がこない。手持ちの食料も尽きた。あまりにひもじくて、こっそりと村民の食料庫を漁ったことがある。ようやくひとここち付いたと思ったら、翌日には日本兵の仕業だとばれてしまった。
 理由は足跡だ。
 村民は靴をはかないので、靴の跡が残っていれば日本兵の仕業だとバレバレというわけだ。村民には怒られたが、なんだかんだと引き上げ船がくるまで無事に過ごすことができた。暴力的な行為は受けなかった。
 いやもう、戦争はもうこりごりだわ」

【ある村で聞いた話】
 この村はかなりの山奥にあり、鉄道開通も昭和五十年代と、最近までかなり昔の雰囲気を残していました。
 そのような村にまで赤紙が届いていたことに、ある意味、驚きました。
「この村からは四人出征した。
 当時は鉄道もバスもなく、徒歩で山を降りて里に集合した。二晩ほどかかった。ちなみに買出しをするときは大八車を出し、村の若い者を何人かつけて一週間かけて往復した。そんな時代だった。酒は山を越えたところに酒蔵があるので、三人かかりで一晩あれば持ってこれた。
 四人中二人が戦死した。
 もちろん名誉の戦死ということだが、そりゃ人間だもの、みんなで「可哀想だなあ」と言っていたさ」

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齊藤想『祖母の神様』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第20回)に応募した作品です。
テーマは「神」でした。

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『祖母の神様』 齊藤想

 個人的なことを県立天文台の館長を勤められている貴職に質問するのは失礼もしれませんが、同じ高校でともに白球を追い続けた知己に頼り、また日本における天文観測の歴史を研究されていると知り、ぜひとも意見を聞いてみたくお手紙を差し上げました。
 ご相談を差し上げたいのは、私の先祖が発見したという神様についてです。
 当時、私は高校生三年生でした。
 野球部を引退し、暇になった私が久しぶりに祖母の家に顔を出したところ、祖母が真面目な顔をしてこう切り出しました。
「神様は江戸時代に発見されたんだよ」
 しかも、神様の発見者は私の先祖だと言うのです。タカシは高校で一生懸命勉強しているから、実際に頑張ったのは野球なのですが、きっと先祖の大発見を証明してくれるだろうと期待しているようでした。
 祖母の話によると、祖母の祖父は江戸幕府の天文方で働いていたそうです。
 もちろん身分は低く、歴々の旗本の下働きとして指示されるまま星空を見上げ、記録を取り続ける書記のような存在だったようです。そのうちに星座の動きに興味を持ち、天の川の神秘に思いをはせ、旗本には黙って独自の天球運行表なる書面を作成したようです。
 その後、江戸幕府が崩壊し、先祖は自動的に失職しました。高位の武家はともかく、下々には新政府の恩恵は行き渡りませんでした。
 なにしろ、祖父は天文観測しか知らない人間です。いきなり路頭に放り出されて大変な苦労をしたようです。
 先祖がひとごこち付いたのは、明治も中頃になったころでした。
 すでに隠居して悠々自適の日々を過ごしているうちに、若い頃の情熱が蘇り、天文観測を自費で再開したそうです。
 時間も金も余裕がある中で、幕臣時代に残した記録を読み返し、ついに神様の痕跡を“発見“したそうです。
 先祖は神様の痕跡を証明するのに夢中になりました。莫大な金銭を費やして望遠鏡を自作して観測し、何らかの証明をしたそうです。先祖の息子からすれば、財産を食いつぶす父親の趣味を快く思うわけもなく、先祖が死ぬと、観測器具と記録は疫病神とばかりに土蔵の倉庫に捨てておかれました。
 そして、太平洋戦争の空襲で、全て灰燼に帰しました。
 いま残っているのは、祖母が教えてくれた語り聞きのみです。先祖は、神様の正体について、祖母にこう伝えたそうです。
「見ることも、触ることも、音を聞くこともできないが、確実に存在する。それは、天球運行表を見れば読み解けるのだ。神様は大いなる力で、宇宙を支配している」
 私個人の感想を問われれば、もちろん神様の存在を信じることはできません。その一方で、先祖が何らかの発見をしたことを確認したい気持ちもあります。
 結論を求めるものではありません。館長のご意見をお聞かせ願えれば幸いです。

 お手紙ありがとうございます。興味深く拝見させていただきました。
 高田君のことならよく覚えています。練習試合のときでしたが、ファールフライを追いかけることに夢中になり、相手チームの監督にダイブして一撃でノックアウトしたのは野球部の伝説になったそうですね。
 その高田君がいまでは県幹部職員となり、部署は違えとともに仕事をするのですから人生とは面白いものです。
 さて本題に移りますが、実は先祖が発見したものの正体がおぼろげに見えてきました。
 ご先祖は「暗黒物質」を発見したのではないでしょうか。暗黒物質とは、観測不可能ですが、確かに質量を持ち、その重力でもって宇宙を動かしている存在です。天体観測の結果、存在していると推定されている物質です。
 高田君はフェルマーの最終定理の話をご存じでしょうか。フェルマーは一六四〇年頃に数学上の問題について証明をなしえたが、証明方法を残しませんでした。後世の数学家が一斉に証明に取り組んだが難航し、実際に証明されたのはなんと三六〇年後です。
 暗黒物質についても、江戸、明治の観測技術で発見できるとは思えません。しかし、何らかの証明をしたことを否定することもできません。観測技術は低くとも、江戸幕府には三百年近くの歴史があります。時間が観測精度を補った可能性は十分にあります。
 惜しむらくは、全ての記録が灰になってしまったことです。
 ご先祖の発見については、今後も謎のまま残ることでしょう。私も高田君のご先祖の発見に思いを馳せながら、研究に励みたいと思います。
 またお手紙をいただければと思います。ぜひとも宇宙の話をしましょう。

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齊藤想『猫鍋』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第19回)に応募した作品です。
テーマは「鍋」でした。

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『猫鍋』 齊藤想


 卒業を間近に控えた学生たちの楽しい宴は、突然終わりを告げた。鍋をつついていた同級生のひとりが、急に倒れたのだ。
 異変に最初に気がついたのは、この部屋で飼われている三毛猫だった。鍋の暖かさにまどろんでいた猫が急に耳を立てると、まるで毒アリに噛まれたかのように飛び上がった。同級生が倒れたのはその直後だった。
 鍋パーティーに参加していたのは被害者も含めて五人。いずれも経済学部の学生で、ゼミも同じ。気心の知れた仲間同士といえる。ただ、大手企業への就職枠を争ったライバルともいえる。
 倒れたのは、壮絶なるバトルを勝ち抜いた荒井浩二だった。人当たりがよく、不平不満をひとつもいわず、几帳面で丁寧なキャラが面接官の心を掴んだのかもしれない。
 そんな彼が、糸こんにゃくを口にした瞬間に泡を吹いて倒れた。だれかが糸こんにゃくに毒を入れたのだ。
 警察に届けるべきとだれもが思ったが、事件に巻き込まれて貴重な内定がオジャンになるのも困る。お互いの打算が、警察への通報を躊躇わせた。
 これは犯人に自首してもらうに限る。
 残された四人はお互いに顔を見合わせた。もっとも疑われるのが、食材を用意した新垣眞理子だ。
「だって、スーパーで買ってきて、そのままお皿に盛り付けたのよ。これは鍋よ。細工ができるわけがないじゃない。みんなも見ていたでしょ?」
 確かにその通りだ。しかし、一瞬の隙がなかったとも言い切れない。
 若干のモヤモヤ感を残したまま、次に疑惑の眼差しを向けられたのが、会場となった下宿先を提供した五十嵐颯太だった。何しろ、倒れた荒井は最後まで五十嵐宅に行くことを嫌がっていた。
「おれが事前に毒物を用意していたとでもいうのか。そんなことできるわけがないし、する意味もない。それに、荒井がおれの部屋を嫌がった理由だってよく分からないし」
 猫が戻ってきて、五十嵐の膝に乗った。この猫が事件を解決してくれればいいのにと思ったが、某作品に登場する名探偵と似ているのは毛並みだけだった。飼い主が作った胡坐のくぼみに、気持ち良さそうに納まる。
 次に問いただされたのが機材を提供したヤーコフだった。
「ワタクシが持ってきたのは鍋とお玉と卓上コンロだけだヨ。これでどうやって、アライを殺せるのかネ」
 三人の目線は、最後のひとりに向けられた。料理を担当した里見直美だ。よくよく考えると、彼女が一番怪しい。
「ちょと待って。今日の流れを最初から整理しようよ。まずヤーコフが機材を持って五十嵐の部屋にやってきたんだよね」
「そうヨ。それで一式を窓のソバに並べた。そうしたら五十嵐のキャットがきて」
「そういえば、そんなコトもあったよなあ。猫鍋のように鍋のなかにくるまっていたから追い払った。そうしたら、次に新垣がスーパーの袋を抱えてやってきた」
「私は袋から出してザルの上に並べただけだから関係ないわ。五十嵐もヤーコフも見ていたはず」
「おれは猫と遊んでいたからよく分かんない」
「ワタシは少し手伝ったけド、ずっと一緒に居たわけデはないから」
「二人とも酷い! 薄情すぎるわよ!」
「いいから続けるわよ。次に今回の被害者である荒井がやってきて、最後にきたのはこの私。そのまま料理を始めたから、私が犯人ということはありえない。それはみんなも知っているよね」
「そういえば、鍋」
 みんなが腕組みをするなか、五十嵐が何かを思いついたように呟いた。
「荒井がうちに来たがらなかった理由って、もしかしたら猫アレルギーだったんじゃないかな。慎重に行動していたけど、猫の毛かなにかを口にして、アナラキーショックで急死したとか」
 ヤーコフが頷く。
「確かに症状もぴったりダし、重度なら倒れてもおかしくないヨ。彼は優しいから、トモダチが猫好きなのを知って、そのことを言えなかったのダろう」
 いままで疑惑の中心に立たされていた新垣が、里見に迫る。
「その鍋で猫ちゃんが遊んでいたんだよね。それで里見ちゃんに聞くけど、料理する前に鍋洗った? 調理の前に洗うのは常識だよね?」

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齊藤想『だから私は吐き続ける』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第18回)に応募した作品です。
テーマは「標識」でした。

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『だから私は吐き続ける』 齊藤 想

 急に体ががくんと折れて、運転席から転がり落ちそうになる。ぼくの意思に反して教習車が急停止する。
 ここは区画が整然とした住宅街。高級感ただよう閑静な輸入住宅が並ぶ。いかにも高所得者向けの町並みを、自動車教習所のロゴが書かれたセダンが通るのは、ずいぶんと場違いなように感じる。
 助手席を見ると、教官がため息をつきながらボールペンの先で街路樹の繁みを指した。
「はい、一時停止違反。あそこに標識があるのに見えなかったの? そんな注意力ではすぐに事故を起こすわよ」
 目をこらすと、確かに木の葉に隠れて赤い標識が立っている。
「前回は無かったと思いますが」
「馬鹿を言うのも休み休みにしなさい。標識が独りで歩いてくるはずがないでしょ。今度見逃したら減点するからね」
 教官は短めのタイトスカートから伸びる足を組み直した。細身のメガネが光る。
「ここは駐車場じゃないのよ。いつまでも休憩していないで、早く出発しなさい!」
 叱責に追い立てられるようにアクセルを踏み込む。ところが、数十メートルも進まないうちに再びブレーキを踏まれた。まだ住宅街を抜けていない。教官の運転で路肩に寄せられて、歩道の際に停車した。
「今度は車両進入禁止違反。貴方の目は節穴かしら。次やったら仮免許を取り消すわよ」
「少し待ってください。この道路は前回の教習で通りましたが、何の問題もありませんでした。どこに標識があるのですか」
 ぼくは納得できないと食ってかかったが、教官は呆れたように道路の脇を指した。確かに赤丸に横白線のマークが立っている。こんなに目立つ標識を、なぜ見落としたのか。自分でも分からない。
 ぼくは気を取り直すと、ウインカーを出してハンドルを左に切った。ところが、またブレーキを踏まれた。
「あの標識はどうかしら?」
 目をこらすと、黄色地に黒で兄弟のシルエットが描かれた標識がある。かなり古い標識のようで、すでに朽ちかけている。全体に錆が浮かんでいて、中央で折れ曲がっているのが痛々しい。
「見えます」
「あの看板が見えるの」
「もちろんです。学校、幼稚園、保育所等ありの標識ですね。あの標識があるときは子供の飛び出しに注意するように教わりました」
「そうね。だれもがもっと注意して標識を見てくれるといいんだけど」
 強面の教官が、始めて優しさをうかがわせるような声をだした。標識の角では、幼い兄弟が教習車の様子を伺っている。渡りたいのだろうか。ぼくは「お先にどうぞ」と手のひらで合図を出した。幼い兄弟は手を繋ぎながら、まるで逃げるかのように、もときた道を引き返していった。
 アスファルトの上に、小さな足音だけが残る。
 だれもいなくなった道路を前にして、ぼくは教官に宣言した。
「これからは標識に注意します」
「これからも、でしょ」
 教官の軽口に、ぼくは笑みをこぼした。狭くて息苦しい住宅地を抜けると、ぼくはスピードを上げた。教習所までもう少しだ。

 美沙は教習車から降りると、首筋から吹き出る汗をタオルでぬぐった。急いでトイレに駆け込み、胃の襞をひっくり返すようにして全てを吐き出す。
 美沙は教習中に幼い子供の兄弟を轢いたことがある。教習者は十八歳になりたての少年で、住宅地だというのにスピードを出し過ぎていた。まずは言葉で注意をしようとブレーキを踏むのを躊躇した瞬間に、兄弟が飛び出した。
 その当時立っていた標識は、「学校、幼稚園、保育所等あり」のみだった。
 その事件をきっかけにして、一時停止や進入禁止の規制がかかるようになった。
 兄弟の両親から責められ続けた少年は自殺した。警察から罪を問われず、結果として生き残った私は、いまだに恥ずかしげもなく教官を続けている。
 そんな美沙に、ときおりあの世から少年がやってくる。
 少年の存在を感じると、美沙は独りで教習車を走らせ、あの日をやり直す。幼い兄弟を助けて自己満足に浸る。みんな死んでいて、いまさら何の救いにもならないのに。
 だから、私は吐き続ける。
 自分自身にある汚い心を少しでも捨て去るために。

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齊藤想『ある夏の日』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第17回)に応募した作品です。
テーマは「贈り物」でした。

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『ある夏の日』 齊藤想


 一九四五年八月六日。
 二機の大型爆撃機が、テニアン島のA滑走路を静かに離陸した。目的地は広島。数時間後には歴史的な作戦が実行に移される。その作戦が成功したら、この爆撃機の乗組員たちは良くも悪くも歴史に名を残すはずだった。
 責任の重さを痛感している兵器担当兼作戦指揮官は、投下後に巻き起こる惨劇をまぶたの裏側に思い浮かべた。指揮官だって人間だ。敵はにくい。日の丸の鉢巻をつけた野獣どもに多くの仲間を目の前で殺された。その中には家族ぐるみのつきあいをしてきた戦友もいる。一時帰国したときに聞いた、紅顔の遺体を前にして泣き叫ぶ妻子や年老いた両親たちの声が、いまも脳裏にこだまする。
 特にゼロファイターとの死闘は悪夢だった。あの小柄で俊敏な機体の前に、何人もの戦友が打ち落とされた。
 しかし、この作戦はいままでの憎しみとは別問題だ。
 日本を一日も早く降伏させるためとはいえ、大勢の市民を巻き添えにする作戦は許されるのだろうか。普遍的と信じる人道に反していないだろうか。いくら戦争とはいえ、この行為は神の御心に叶うのだろうか。憎しみと悲しみとのバランスは吊りあうのだろうか。
 鉛のような時間が過ぎていくなか、ひとり陽気な爆撃手が、観測手を相手に軽口を叩き続ける。
「ジャップには初夏になると商品を贈りあう風習があるらしいな」
「お中元のことだろ」
「そうそう、それ。オチューゲン」
 指揮官が苦々しい思いで、陽気な爆撃手を眺める。
「この作戦は、いわばジャップへのお中元だ。みんな手を叩いて喜ぶぞ」
 観測手がわっと笑う。指揮官は我慢の限界に達した。
「死者への冒涜は許さん。歴史的な作戦の前だぞ。もう少し言葉を慎め」
 爆撃手は悪びれずに言った。
「おれのいうみんなとは、もちろん早く祖国へ帰れる戦友たちのことだ」
 機内が不気味な笑いに包まれる。指揮官は孤立していることを感じると、沈黙を保つしかなかった。
 爆撃機がひときわ高い唸り声を上げた。気流が一瞬だけ乱れ、すぐに穏やかになる。今日は絶好の爆撃日和だ。
 室内が静かになった。誰もが時計を見た。それぞれがテニアン島で指示されたタイムスケジュールに従い、機械のように動き始める。
 指揮官も機械のひとつだ。時計を確認すると、私情を押し殺して命令を下す。否応なく時は流れていく。
「作戦実行だ」
 陽気な爆撃手が、「よしきた」と嬉しそうにレバーを下げる。B29の格納庫が開かれ、秘密兵器が広島の町にばら撒かれていく。
 爆撃機から投下された粒は、風に吹かれながら、ゆっくりと地上を目指していく。秘密兵器の行く末を見守っていた爆撃手が足を踏み鳴らす。
「あいつら本当に節操のない人間だなあ。敵からの贈り物だというのに、ジャップたちは随分と喜んでいるじゃないか」
 作戦の結果を確認するために、指揮官も監視窓を覗き込んだ。B29がばら撒いたのは小さなチョコレートだ。米国ではだれもが気軽に楽しんでいるお菓子だが、日本では貴重品のはずだ。
 市民たちは米軍からもたらされた予想外の贈り物に最初は恐れおののいていたが、それがチョコレートであることを知ると、みんなが表に出て拾い始めた。
 指揮官は望遠鏡を取り出した。小さい子供ほど喜んでチョコを集めている。数を競い合っている小学生たちがいる。指揮官は胸が痛んだ。
「国力の差を知った市民たちが、チョコレートでアメリカに好意を持ち、みんなで降伏してくれたらすぐにでも戦争が終わるのに」
 爆撃手が高笑いをした。
「指揮官らしくない言い草ですな。この後に何が起るか知っているのに」
「まあな」と指揮官は短く答えた。無駄だと知りつつも、彼らに幸運が舞い降りるよう神に祈った。
 なにしろ、今日は絶好の爆撃日和なのだ。

 お中元部隊が広島上空を去ったあと、家の外に出てきた子供を始めとする市民たちを目掛けて、もう一機の爆撃機が侵入した。
 その爆撃が投下した新型爆弾は、閃光とともに巨大なきのこ雲を生成した。
 なお、お中元作戦はあまりの卑劣さゆえに、歴史の闇に葬り去られたという。

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齊藤想『自殺と猫と雪と』   [自作ショートショート]

2009年にゆきまち幻想文学賞に応募した作品です。
生まれ変りをテーマにしてみました。

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『自殺と猫と雪と』 齊藤 想 

 これほどまでに文章を書きたくなったのは、私が自殺をする前日以来のことだ。
 そのとき、私は何かに絶望していた。人生とか愛とか宇宙とか言葉で表現できるものではなく、何かとしか表現できない何かだ。
 そのころの私は、夜中に急に目覚めて、まばたきができなくなるという奇癖に悩まされていた。私の眼球がこう叫んでいた。
「見ろ、見ろ、世の中の全てを見ろ、お前はあと三〇年でこの世から消える。奇跡的に長生きしても六〇年だ。死ねば自分である意識が永遠に途切れる。匂いだって、味覚だって、人肌に触れたときの温もりだって、全てが闇の中へと葬られる。だから、今だ。今のうちに見ておけ。何もかも見ておけ。そしてその目に焼き付けた風景の全てが、肉体の消滅とともに滅ぶのだ。こんなに面白いことはない。こんなに楽しいことはない。全ての努力が無に帰すのだ。その一瞬のために、この小汚い部屋の全てを見るのだ!」
 私はこの奇癖が発生するたびに、タオルを濡らし、目の上に載せる。眼球の慟哭が尽きるまでソファーに首を預け、静かに声が遠ざかるのを待つ。
「見ろ、見ろ、見ろ、見ろ……」
 こだまのような叫びが消えるのは、いつも、夜が明けてからだった。
 私が自殺をしようと考えたのは、唐突なことではない。ましては眼球の声に悩まされたからでもない。幼いころから人間はいつか死ぬという事実に脅え続け、思春期を過ぎても恐怖感を克服できなかったからだ。
 子供のころは夢を持っていた。本を書けば国立図書館に収蔵される。たとえ、二度と社会に出回らない作品でも、自分がこの時代に存在していたという証拠を残せる。子供を作るのもいい。自分の遺伝子情報が次世代に繋がる。どこまで伸びるかは分からないが、それも存在証明になるに違いない。
 だが、そのような行為に意味があるのか。私という存在が無くなってしまえば、本当に私の足跡が後世に残ったのか確かめようもない。そもそも私が存在しなければこの世は無いも同然ではないか。
 永遠の闇。時間さえ凍り付いた世界。さらには無ですら存在できない空虚な次元。死についての妄想が眼球に凝縮し、あのような奇癖が産まれたに違いない。
 とにかく、私は気がついてしまった。生きていることの無意味さを。例え意味を見つけたとしても、死という圧倒的な力の前では全てが吹き飛んでしまう事実を。
 そして、いつものように眼球が叫び始めたある夜、お前にとっておきの景色を見せてやる、と眼球に誘われるまま、私はマンションの屋上から飛び降りた。予想通りのつまらない光景を見ながら、私は死んだ。
 ところが、私の身に不思議なことが起こった。
 気がついたら、私は猫になっていた。身寄りの無い野良猫だ。人は死ぬと生まれ変わるという伝承は本当だったのだ。
 言葉を失ったのは実に不便だ。何かを伝えたくても、ニャーだけではどうしようもない。そういえば、自分が人間だったころ、妙になれなれしい野良猫がいたことを思い出した。心無い飼い主に捨てられたのだろうとそのときは気にも留めなかったが、もしかしたらその猫は人間の生まれ変わりだったのかもしれない。私だって、人間が懐かしくてしかたがない。
 猫に生まれ変わって最も残念なことは、記憶力が乏しいということだ。猫は三歩進むと恩を忘れるというが、忘れるのは恩ではなく記憶そのものだ。
 だから、今の私は猫だった頃を思い出していろいろと書こうとしているのだが、何もかも忘れてしまっている。面白いできごとや、猫だからこそ発見できた何かがあるはずなのだが、何も頭に浮かばない。
 実に残念だ。本当に残念だ。
 それでも、ひとつ、覚えていることがある。猫である私が死ぬときのことだ。
 猫は自殺ができない。本能というものがあるからだ。私は何回も死のうと試みた。人間だろうが猫だろうが、死ねば同じことだ。立場もしがらみも生きるための努力も、全て投げ捨てることができる。それでいいではないか。行き着くところは同じなのだから。
 ところが、猫は死ねない。もう腹が減って死にそうなのに、目の前にトラックがくると足が勝手に動いてしまう。
 もういいんだ。生きたくないんだ。そう念じて車道に飛び出しても、気がついたら四本の足が別の生き物のように私を安全地帯まで運んでしまう。
 どうしたらいいのか。私はようやく忌々しい四本足の性質に気がついた。危険を感じると、体とは逆方向に逃げるようになっているらしい。それさえ分かれば簡単なことだ。車の右側にでて、そのまま右側を向いて座っていれば、本能に従って動くしかない四本足は左側に向かって、つまり車が通る方向に向かって走り出す。猫の頭でもこのぐらいは考えられる。
 こうして、私はトラックに轢き殺されることに成功した。骨が砕け、肉が引き裂かれる音など一瞬だ。痛みを感じる前に死んだ。これでやっと無になれる。私がまだ人間だったときに、ある法事で坊主がこう言っていた。人間は悩み、苦しみ、そして時には努力して、一日を生き続けているのです。こうしてお骨になり、仏様は全ての悩みから開放されました。だから、仏様に「ありがとう」と言ってくださいと。
 本当にありがとうになったのか。
 ところが、楽にはならなかった。気がついたら、私は大空で漂っていた。もしかして魂になったのかと思いきや、時間と共に落下していることに気がついた。風が吹けばそれなりに移動するが、自分の意思では体を動かせない。どうも私は雪の結晶になってしまったようだ。
 もうこの世の中は真っ平だ。早く無に返してくれ。ありがとうと言ってくれ。
 そう考えているとき、私はある少女に出会ってしまった。出会うといっても、ほんの二、三分のことだ。雪国では雪はやっかいものだ。彼女は大きな傘をさし、雪模様を憎らしげな目で睨みつけるはずだった。
 ところが、その少女は雪の行き先を心配するように、雪雲を見つめていた。儚い命を慈しむように、雪の結晶を両方の手袋で受け止め、仲間たちに戻している。なんと優しい少女なのだろう。このとき、私は三度目の生まれ変わりは無いと確信していた。だから、最後は、あの優しげな少女の手の中で消えて無くなりたいと心から願った。私は死ぬことばかり考えて、怠惰な、どうしようもない人生を送ってきた。だから最後だけ希望通りにして欲しいなど、口が裂けても言えるような立場ではない。しかも手も足も無い今の状態では、自分の意思ではどうしようもないのだ。
 しかし、このような私の元に奇跡が舞い降りた。まるで大観衆の中から子供を見つけ出した母親のように、彼女が私に近づいてくるではないか。私は単なる雪の結晶だ。少女に私の気持ちが伝わるわけがない。伝わったとしても、幾多の雪の結晶の中から私という存在を見分けられるわけがない。だが、現に彼女は、一歩一歩前に踏み出し、確実に私に迫ってくる。
 彼女が空気を抱き寄せるかのように、両手を広げた。コートと手袋との間に隙間ができた。私はその隙間に滑り込み、彼女の体温によって溶かされ、水に戻った。

 これは生まれ変わりではない。気がついたら、私は少女と一体化していた。
 もっとも、これは一時的なものだと自覚している。この文章を書いている今でさえ、私という意識は薄れ、消えかかっている。もう五分ももたないだろう。
 今まで無にあこがれてきた。到達する場所が同じなら、早いも遅いも関係ないと信じていた。だが、今はそう思えない。この文章を書いている瞬間ほど、時間が重要だと思ったことは無い。だから書く。ひたすら書く。振り向かず、推敲も校正もいらない。自分もやればできるではないか。書こうと思えば書けるではないか。目の前の目標があれば、最後は無になろうとも関係ないではないか。それが人生というものなのではないか。
 しかし、気がつくのがあまりに遅すぎた。私の人生は、本当に、あと少しで終わる。
 少女の手首から、雫がひとつ落ちた。


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齊藤想『ネコとメガネ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第16回)に応募した作品です。
テーマは「眼鏡」でした。

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『ネコとメガネ』 齊藤想


 良く肥えた子豚のような猫が、ジャンプに失敗して、床に落ちた。猫とは思えない「モフ」という音がして、カーペットに丸いくぼみができた。
「ほら、見たでしょう。ミャーにはメガネが必要なのよ。貴之はメガネ屋の息子でしょ? だからお父さんにお願いしてミャー専用のメガネを作って欲しいのよ」
「シャー専用?」
「それはガンダム。話をそらさないで。真面目にお願いしているの!」
「メガネかぁ」とぼくは気乗りのしない返事をした。
 ミャーを見る限りでは、ジャンプに失敗する原因は別のところにあるような気がする。というより、絶対に違う。ナメクジのようにお腹を引きずりながら動く姿を見ると、跳躍を試みたこと自体が驚異的なできごとのように思える。
「こんなミャーだって、目が良くなれば、綺麗なジャンプができるようになるはずよ」
 彼女はミャーをどっこいしょとかけ声を掛けながら、持ち上げた。巨大なモフモフを抱える姿は、まるで綿花を取り終えた労働者のようだが、彼女の胸の内にあるのは猫だ。
「ミャーのことをかわいそうだと思わない?」
 もちろんそう思う。だが、その理由は彼女とぼくとではかなりかけ離れている。
 彼女は呪文のように、メガネ、メガネと言い続ける。いくらぼくがメガネ屋の息子だからといって、何でもできると勘違いされると困る。とはいえ、そこまで彼女が必死になるならかわいそうな気がした。
「そこまで言うなら試作してみるけど……」
「本当! 嬉しい!」
 彼女が猫ごと飛び込んできた。不思議な柔らかな感触が、ぼくの胸に広がる。もちろんミャーの肉のことだ。
「けど、視力と軸角度を計らないと」
「ミャーに視力検査なんてできるわけがないじゃない。メガネ屋の息子なら、見ればだいたいわかるでしょ」
 彼女が愛猫を突き出した。毛玉のお化けのようなミャーは、ぼくの目の前で「ふしゅぅー」という奇怪な鼻息を浴びせてきた。こんなので分かるわけがないのに、彼女はこれで大丈夫よねえと、ミャーに顔を埋める。
 ミャーの鼻から飛び出してきた空気には味が付いていた。もちろん、猫缶の味だ。
 ぼくはため息をつくしかなかった。

 その日から、猫用メガネの試作を続ける日々が続いた。もちろんこんな仕事をオヤジには頼めない。それに、ぼくだってメガネ屋の息子として最低限の技術はある。それを彼女に見せてあげるチャンスだと思った。
 第一号は散々だった。幼児用と同じ感覚で制作したら、この力作をミャーは瞬時に頭から振り落とした。
「もう、ちゃんと作ってよ」
 そんなこと言われても、猫用メガネなんて世界初の試みだから仕方があるまい。応急措置としてバンドを取り付けたがもちろんダメで、最終手段としてガムテープを持ち出したところで彼女に止められた。
「ふざけないでよ」
 ふざけているのはそっちだろう、という言葉をなんとか飲み込んだ。ミャーが飛べないのは視力の問題ではないことは明らかなので、メガネに度数を入れる必要は無い。だからいくらでも薄くできる。軽くすれば、ミャーも気にならないだろう。
 メガネを掛けさせることができれば、彼女は納得するのだから。
 プラスチックから始まり、透明フィルム、調理用ラップフィルムと手を替え品を変え実験は続いた。メガネを猫の毛皮でくるむようなこともした。
 彼女の気まぐれから始まったこととはいえ、世界初の商品を開発する楽しさに、ぼくは目覚め始めていた。

 そうした苦しいながらも楽しい日々は、突如として終わりを告げた。
「ミャーが上手く飛べない理由が分かったの。問題は眼じゃなくて太りすぎにあったのよ」
 ぼくはあきれかえった。なにをいまさら。
「明日からミャーと一緒に猫用のダイエットスクールに通うことにしたから。それじゃあね、バイバイ」
 なんのことはない。猫用ダイエットスクールの指導官がぼくよりちょっとイケメンで、ちょっとだけ金持ちに見えただけのことだ。
 変わりやすいものの例えとして「女の心は猫の眼」とはよく言ったものだ。ミャーの眼と同時に彼女の心も変わったらしい。
 そんなことを思いながら、ぼくはミャーと彼女のために作り続けた試作品を、ゴミ箱の中に放り込んだ。

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齊藤想『孫とその弟』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第15回)に応募した作品です。
テーマは「風鈴」でした。

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『孫とその弟』 齊藤想

 風も無いのに、風鈴が鳴いた。
 今日はお盆だ。失明して五年になる義母はその音を聞いて「今年もあの人の魂が戻って来たねえ」とうれしそうにほほえんだ。
 二階では義母の孫たちが走り回っている。特に四歳の弟はやんちゃ盛りで、一分たりともじっとすることができない。私は義母に「風鈴が鳴ったのは、二階で孫たちが遊んでいるからよ」と言いたかったけど、黙っていることにした。義母は私のことを実の娘のように慈愛を注いでくれるひとなので、彼女が「風鈴の音は、亡夫が帰宅した証拠だ」と信じているなら、それでよい気がした。
 青草の臭いとともに、ゆるやかな真夏の風が和室を通り抜ける。風鈴が音も無くくるりと回転した。義母は「夏らしくなってきたねえ」と、手探りで仏壇に飾られていたキュウリの馬とナスの牛を手元に引き寄せる。
「ねえ、あたな。今晩は泊まって行かれるのかい」
 義母は、まるで義父がその場にいるかのように語りかける。「そうだよねえ」、「かわいい嫁も孫の健嗣もその弟もいるからねえ」と、虚空に向けて呼びかける。
 この光景を、私は軽い胸の痛みとともに眺め続けた。
 元気の塊だった義父が死んだのは、義母が眼の光を失ったのと同時期だった。倒れた場所が納戸だったこともあり発見するのが遅れ、夫が警察に通報したときにはすでに事切れていた。心臓発作だった。積み上げられていた荷物が崩れていたので、高い場所にある物を取ろうとしてバランスを崩し、倒れたところに重量物が背中を直撃したのだろうと推測された。しばらくは生きていたのか、床にはもがいている跡もあった。
「あの人が倒れたとき、貴美子さんは畑にいたのよねえ」
「そうなのです。お盆の牛と馬を準備しようと思って、裏の畑までナスとキュウリを採りに行っていたものですから」
「そうそう、そうだった」
 義母は手のひらで野菜の牛馬をなでた。
「あのとき、激しい物音がしてから急に静かになったのよね。妙な胸騒ぎがしたけど、私は失明したばかりで暗い世界に慣れてなくてねえ。私の目が明るければ、あの人は助かったかもしれないのに」
 私は非難されているようで、居たたまれなくなった。
「健嗣と翔を連れてお墓参りに行きます」
 私が立ち上がると、義母は「うんうん」と二回うなずいてから、再び空気に向かって語りかけた。
「あなたも一緒にいきなさいな。かわいい嫁と孫の健嗣とその弟が、あなたの墓を磨いてくれるみたいだから」
 義母はまた義父の霊に話しかけている。自然なようで、どこか違和感のある言葉。私が縁側に腰掛けてサンダルに足先を通したころ、子供たちが階段を駆け下りてきた。子供たちがつっかけを履くころ、義母の言葉をかき消すように風鈴が激しく揺れた。
 田んぼの中央にある昔ながらのお墓にたどり着くまでに、私のノースリーブは汗だらけになった。水路から清流をくみ上げて、傷だらけの墓を磨くと、どうしてもあの日のことを思い出さざるを得ない。
 あの日、私は義父に強姦された。
 仲の良い夫婦を演じてきた二人だが、義母が失明したとたんに、義父は露骨な性的嫌がらせを繰り返すようになった。義父は私が強く抵抗できないことをいいことに、納戸で私を押し倒し、醜悪な思いを果たした瞬間に心臓発作が起こった。いわゆる腹上死だ。
 怖くなった私は現場を崩して偽装工作をすると、畑まで逃げた。夫が義父の死体を発見したのは、夕方になってからだ。
 ほどなくして、私は妊娠した。翔は義父の息子だ。このことは、誰にも言えない、自分だけの秘密だ。幸いにも義父と夫は良く似ており、血液型も同じなので、ばれる心配は無い。夫も気がついていない。
 兄弟たちは墓洗いをそっちのけで、柄杓で水を掛け合っている。
 ふっと、私は義母の言葉を思い出した。確か、子供たちのことを「孫の健嗣とその弟が」と表現した。孫たちでも、健嗣と翔でもない。「孫の健嗣とその弟が」だ。
 もしかして、この秘密を義母は知っているのではないか。このことを聞くとしたら、一人しかいない。しかし、その一人はもう死んでいる。
 ふっと、私はあの風鈴の音を思い出した。子供たちが階下に下りてきても、風鈴は鳴り続けていた。風はまったくなかった。
 義父の霊がこの近くにいると思うと、妙な気色悪さに包まれた。

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齊藤想『奇跡の確率』 [自作ショートショート]

2015大阪ショートショートに応募した作品です。
テーマは「行列」でした。

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『奇跡の確率』 齊藤想

「緑の線の秘密はこのアリです。どこにでもいる普通のアリにちょとした遺伝子操作をしましてね。普通のアリは食料を巣に運びますが、このアリは巣から出すのです。つまり、巣の中にタネを詰め込んでおけば、このアリたちは本能の命じるまま、タネをどこかに運ぼうとするわけです」
「アリたちにだって食料は必要だろう。食べるものがなければ繁殖もできない」
「それはこいつです」
 教授は巣の近くに設置された、小さなタンクを指した。
「この中には高濃度の糖分を始めとするありとあらゆる栄養素を配合した水溶液が入っています。もちろん、アリの生存だけでなく、繁殖に必要な栄養素も含まれています。
 このように貯められないものについては、このアリは運ぶことがなく、自らや家族のために消費します。そして、すでに蓄えられている食糧をどこかに運び去ります。こうして緑の線が生まれるのです」
 軽い砂嵐が起きたが、教授はターバンで口をふさいでやり過ごすと、すぐに説明を再開した。
「もちろん、アリの行列は無限ではありません。
 このアリたちはどこかで力尽きると、種が地面に落ち、種はアリの体に蓄えられている栄養素を養分として発芽します。もちろん、このアリが通常のアリより大きいのも、発芽に十分な水分を蓄えるためです。さらに体内に蓄えられた水分が簡単に蒸発しないように高分子吸収体も含まれているのです」
 ひときわ大きなアリが、社長のズボンを上り始めた。教授が丁寧に払う。
「ただし、このアリにも問題があります」
「それは何だね」
「このアリは我慢強さが足りず、行列が乱れると各自がバラバラに行動を始めてしまいます。統制が取れている間はいいのですが、先頭のアリが弱ったとたんに行列は乱れ、種は置き去りにされ、緑化の効果は半減します」
 社長は当然過ぎる疑問を、教授にぶつけた。
「我慢強くなる遺伝子を組み込めばいいではないか」
「その通りです。しかし、我慢強くなる遺伝子というものが、非常な貴重品でした」
 教授は一旦言葉を切った。
「いろいろと調べていきますと、どうやら昔のジャポネという国に住んでいた人種が非常に行列好きで、待ち時間がいくら長くても平気な顔をしていたそうです。そのジャポネは数万年前に滅びましたが、その末裔が宇宙のどこかで息を潜めて生活していると聞き、いま探しているところです」
「そうか」と社長は興味なさそうに答えた。
 教授は小学校時代を思い出しながら、社長の名刺を見た。名刺にはこの星の言葉で、ヤマダ・タロウと書いてある。もしかすると、社長はジャポネの末裔ではないのか。ヤマダもタロウも、ジャポネの代表的な名前であると、古い文献に書いてあった。
「その、ジャポネの末裔は見つかりそうか」
 教授は社長に言われて、とっさに首を横に振った。
「これからもぜひとも頑張ってくれたまえ。この星が住みよい星に変わるかどうかは、君の腕にかかっているのだから」
 教授は社長に深く頭を下げた。社長は次の仕事があるからと、待機してあったプライベート・スペースシップに足早に乗り込んだ。
 人類が宇宙に飛び出して十数万年が経過している。かつて地球の隅にひっそりと住んでいた一族の末裔と同級生で、しかも宇宙の彼方で再会するなど偶然にもほどがある。二度目の奇跡には期待しないことだ。
 教授は行列を作っているアリを見ると、あたらなる改善策はないかと、頭を悩ませ始めた。


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