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【掌編ミステリ】齊藤想『完全犯罪』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第37回)に応募した作品です。
テーマは「運」でした。

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『完全犯罪』 齊藤想

 プランは完全に整えた。アリバイも完璧。あとの問題は、この毒を夫の卓也が口に含むかどうか。それは運にゆだねられている。
 裕子が卓也に殺意を覚えたのは、結婚後まもなくだった。
 恋人時代は魅力的だと思った卓也の男らしいところだが、半年と経たないうちに、それは単なる支配欲と権力欲の裏返しであることを知らされた。一挙手一投足まで束縛される毎日に息苦しくなり、何度も離婚を持ちかけた。そのたびに「世間体が悪い」と暴力をふるわれて、いつしか奴隷のような生活を強いられるようになった。裕子は不幸のどん底だった。
 夫は運送会社を経営し、自らも長距離ドライバーとして働いている。
 卓也は家を空けることが多く、得意先で様々な女を作っているようだった。ときおり深夜に帰宅しては、レイプのような性交渉を求めてくる。こうしてダラダラとこの男との生活を続けていくのかと思うと、絶望感があふれてくる。
 閉塞した状況から抜け出すには、卓也を殺害するしかない。夫は会社経営者でなので保険金も高額だ。たまにしか帰宅しないので、準備する時間も十分にある。条件は恵まれている。
 やるしない。裕子は決断した。
 警察に捕まったら元も子もない。準備には慎重に慎重を重ねた。毒はトリカブトを使うことにした。毒殺と分からなければ、急性心筋梗塞のように見えるらしい。実際にそのよな事件があった。
 裕子はハイキングと称して天然のトリカブトを集め、ひそかに蓄えた。毒物の抽出方法がわからなかったので、根を乾燥させて粉にした。調べればよいのかもしれないが、インターネットを使えば履歴から警察に気づかれる。図書館や書店は論外だ。
 毒物の濃度が不明なので、トリカブトだけでは不安だ。保険をかける意味で、自ら船を出してフグも釣り上げた。フグもよく中毒を起こす食材だ。近所の主婦仲間から「最近、アクティブになったわね」と言われたが、なんとかごまかした。失敗は許されないのだ。
 プランも整えた。
 まず卓也にフグの刺身を食べさせ、食後のお茶にトリカブトを煎じて含ませる。
 ひとつの毒でも致命傷を与えられるのに、ダブルなら効果倍増だ。仮にひとつは失敗してももうひとつで仕留められる。素人による殺人なので、何重にも予防線を張らなければならない。
 問題は、いつ卓也が帰ってくるかだ。数日間も刺身を取っておくのは不自然だ。フグは簡単に獲れるものではない。しかも漁師の協力を仰ぐわけにはいかないので、素人がひとりで海に出るのだ。この条件でフグを釣り上げるのは、奇跡に近い。
 ところが、その奇跡が起きたのだ。
 フグを三枚に下ろした翌日に卓也が帰ってきた。彼は上機嫌だった。仕事がうまくいったらしい。さらに車を増やし、ドライバーを雇いいれ、会社を大きくするという。
 将来への夢を語る時に卓也は素敵だった。恋心を抱いていたころを思い出す。しかし、この思いは何度も裏切られきた。この好機を逃してはならない。
 裕子は卓也に刺身を出した。いつもなら卓也がひとりで食べる。それが何の拍子か「一緒に食べよう」と裕子に勧めてきた。
 この家にとって、卓也の命令は絶対だった。フグ毒の致死量は知らない。そもそも、刺身にどれくらい毒が含まれているのかもわからない。裕子は怪しまれない程度にふた切れを口にした。トリカブト入りのお茶も勧められた。裕子は絶望的な気持ちになった。やはり私は不幸な女なのだ。幸運など訪れるはずがない。裕子は短い人生を振り返りながら、お茶を口に含んだ。苦い味がした。目の前が暗くなり、そのまま気を失った。
 しかし、裕子は死ななかった。そして卓也も。
 あとでわかったことだが、トリカブトの毒ととフグ毒はお互いに打ち消しあう効果があるらしい。お互いに口にした分量が奇跡的にも釣り合って、綺麗に解毒されたのだ。
 裕子の気持ちはすっきりして、卓也も会社経営が順調なためか優しくなった。経営者としての自覚ができたためか、愛人とも手が切れたようだ。娘も誕生した。それは夫に似た、愛くるしい目をしていた。
 あのとき、卓也が死んでいたらどうなっていたのか。裕子は、とても運に恵まれていると、思えるようになってきた。

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【掌編】齊藤想『失格』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第36回)に応募した作品です。
テーマは「星」でした。

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『失格』 齊藤想

 ファミリーレストランの客席に設置された丸時計は、深夜〇時を越えようとしていた。
 静かというよりけだるい空気が漂う空間で、いたいけな少女は、四十代になるマネージャーの前で泣き続けていた。声を漏らさないように口元をハンカチで覆うが、全てを隠しきれるわけではない。
 彼女は、先ほどから同じ言葉を繰り返している。
「私、引退したいんです」
 彼女の名前は濱田風香で、大人数で活動するアイドルグループに所属している。人気グループとはいえテレビやメディアで取り上げられるのはごく一部で、大多数は、人気メンバーが忙しいときの人数合わせとして扱われている。
 それでも、両親は、自慢の娘が雑誌に乗ったと喜んでくれた。
 それを引退するという。
「卒業、したいのかな?」
 マネージャーが確かめるように言うと、風香は「引退したいんです」と繰り返した。きっぱりとした言い方だった。
 風化は吉岡栞里の名前を出した。栞里はグループの中心メンバーで、ファンによる人気投票一位の常連だ。
「茉里たちはグループの太陽です。輝いています。テレビにラジオに撮影にと引っ張りだこで、休む暇もありません。私も頑張れば太陽になれると思っていた。もっと輝けると信じていた」
 少女はハンカチを握る手に力を込めた。きっと泣きたいのを我慢しているのだろう。負けた自分を情けなく思っているのだろう。
 マネージャーの高梨は、風香の震えが収まるのを待った。
「けど、私は単なる六等星にすぎません。小さな星は決して太陽になれない。そう気がついてしまったのです」
 いわるゆる心が折れた、という状態だ。マネージャーはため息をついた。高梨は新入社員ではない。それなりの経験を積んでいるし、担当したタレントも一人や二人ではない。こういうときの対処は心得ている。
「風香はオリオン座を知っているかい。冬の星座で、三つ並んだ星が有名な星座だ」
 風香は小さく首を縦に振った。もちろん、の意思表示だ。
「オリオン座には夜空にひときわ輝くベテルギウスやリゲルのように有名な星もあるが、大多数は世間に知られていない。あの三ツ星の名前を知っている日本人がどれだけいると思うかい。それでも、有名なオリオン座の一部となっていることで、世界中のひとたちに親しまれている。次に、風香はおおいぬ座のことは知っているか?」
 今度は首を横に振った。
「オリオン座と同じく冬の星座で、全天で最も明るいシリウスを引き連れているが、こちらはまったく知られていない。シリウスはともかく、その隣にある小さな星など、だれも目にとめない」マネージャーは少し間を置いた。「同じ星なのにね」
 風香は少し迷っているようだった。目が揺らいでいる。
「つまり、ぼくが言いたいのは、有名な星座に所属していることを幸せに感じて欲しいということだ。だれもがシリウスやペテルギウスになれるわけではない。だけど、それが全てではないんだ」
「私なんて……」
「一等星だけで星座は描けない。夜空には、いろいろな星があるんだ」
 風香は小さくうなずいた。
 実のところ、アイドルは使い捨てだ。人気がなくなれば、彼女たちは「卒業」という美名の元に消えていく。だから、アイドルは恒星ではなく流れ星だ。マネージャーだって彼女に「君はもうすぐ燃えつきるんだよ」と教えてあげたい。だが、組織人として、その言葉を口にすることはできない。
 彼女は芸能事務所の飯の種だから。
「もうすぐ、ふたご座流星群の季節ですね」
 風香は窓の外を見ながらつぶやいた。高梨はほほが緩むのを感じた。風香は高梨が言いたいことを悟ってくれたようだ。
「私、星について勉強します。大学に通って何か資格を取って、うまくいけばバラエティに進出して、それができなくても新しい仕事を始めて……」
 風香のおしゃべりは止まらない。彼女は気がついてくれた。いまのままでは燃え尽きる流星だが、努力次第で何回でも地球を訪れる彗星になれる。
 会社の利益を考えるなら、いまのままで良い。それでも、彼女の幸せを願う気持ちを捨てられない。
 マネージャー失格かな、という言葉を、高梨は無糖のエスプレッソとともに飲み込んだ。

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【掌編】齊藤想『名前の由来』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第35回)に応募した作品です。
テーマは「風花」でした。

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『名前の由来』 齊藤想

 風花とは、降り積もった雪が風によって舞い上がる様子を表現する言葉だ。それなのに、母は四月生まれの私に『風花』と名付けた。母は『風花』という漢字のイメージから、調べもせずに桜の花びらが春一番で舞う姿を表す言葉だと勘違いしているのだろう。
 母は私を産んですぐに離婚した。
 母に履歴書に書けるような学はなく、水商売を転々としながら、女手ひとつで私を高校まで出してくれた。そのことは感謝している。けど、もう、この生活を抜け出したい。
「そんなこといっても、あんたを大学にやるお金はないよ」
 母は安物のタバコに火をつけた。我が家にしたらタバコ代だって馬鹿にならない。それでも、母はタバコをやめられない。
「奨学金をもらうから」
「あんたねえ」と母は煙を大きく吸い込んだ。「奨学金だって借金だよ。借りた金は返さないといけない。それに大学に行ったって、女はいい男と結婚して、楽して過ごすのが一番だ。変な男と結婚したら、ほら、私のようになっちまう」
 母はそういって、煙草を咥えたままトドのように布団に倒れ込んだ。よくこれでいままで火事にならないのかが不思議だ。母には悪運が付いているのかもしれない。
 母は学問に対する認識がない。高校進学だって、母と大喧嘩したものだ。母は「勉強は人生の無駄使い」を公言してはばからない。
 四月生まれの私に『風花』という名前をつけて、なんの違和感も覚えない。それが母の限界なのだ。風花は自分の惨めさにため息をついた。普通の生活を送りたいだけなのに、みんなと一緒に進学したいだけなのに、なぜ、こんなに苦労しなければならないのか。なぜ、こんなに貧乏をしなければならないのか。
 学童品まで友達に借りてきたいままの生活を思い返すと、涙が滲んできた。
「なんで、私を産んだのさ」
「そりゃ、欲しかったからだ。まあ、そんな気持ちにさせられたというか」
「誰にそんな気持ちにさせられたというのよ。離婚したというお父さんなの? おまけにこんな変な名前までつけて」
 母は目玉をギョロリと動かした。まるで倒れていた西郷隆盛の銅像が動き出したかのようだ。母がなぜ水商売を続けられるのかが不思議でならなない。
「あんたは誤解している。あんたの名前はねえ、おばあちゃんがつけたんだよ」
 母はまたタバコを飲んだ。煙を吐き出し、その煙はタールで汚れた天井に向かって立ち上っていく。
「あんたのおばあちゃんは東北の山奥出身でねえ、ゴールデンウィークになっても雪が残っているほどの豪雪地帯だった。そんな村だから、四月の春一番が吹くと、雪が舞い上がる。そう、風花がちょうど生まれた季節だ」
 母の話は続く。
「おばあちゃんが暮らしていた集落では、風花が見えると、もう辛かった冬も終わりだと喜んだものさ。冬の神様は、辛い季節を乗り越えた村人たちに、風花という季節の贈り物をしてくれるんだ。だから、離婚を目前にして、あんたを生むかどうか迷っていた私に、おばあちゃんは”風花”という名前を送ってくれたんだ。神様からの贈り物と同じ。そんなことされると、堕ろします、なんていえないだろ」
「けど、産んだからにはちゃんと育ててよ」
「そりゃ無理よ。うちは働き手がひとりしかいないし、学問はないし、収入面でどうにもならない。ひとなみはムリさ。けど、あんたが本気でやるなら応援する。高校だって散々反対したけど、余裕がなかったけど、それでもあんたは折れなかったから行かしてやった。それが親というものよ。ただ、大学はムリ。もうびた一文も残っていない」
「お金なら自分でなんとかする」
 母は指先でタバコをもみけした。そして小さな声で呟いた。
「情けない親でゴメンな」
 そんなことない、と私は首を横にふった。祖母は、私が母にとっての”風花”になって欲しかったんだ。私を産んだあと、母は苦労するのが見えている。冬の時代が長く続く。
 そうした母の人生において、一足先に春を迎える天使になって欲しかったのだ。
「私、頑張るからね」
 そういうと、母は反対側を向いたまま、小さく頷いた。

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【SS】齊藤想『新しい夢』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第34回)に応募した作品です。
テーマは「夢」でした。

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『新しい夢』 齊藤想


「ねえねえ、新しい夢を見つけたんだ」と幼稚園児のチコは、お迎えにきた母親に楽しそうに話しかけた。
 チコは夢を見つけるのが得意だ。いつもだれかの夢を見つけてくる。
「それで、今日はどんな夢を見つけたの?」
「あ、うん、ちょっと待って」
 チコは教室の入口で先生と分かれの挨拶をする。かわいいお辞儀が終わると、大急ぎでお母さんの元にかけよる。お母さんが優しく会話を促す。
「とってもいい夢だった?」
「もちろん」
 チコは満面の笑みで語り掛ける。
「今日みつけたのは、ヒロミ君の夢。それはねえ、可愛いお嫁さんになること」
 お母さんはふきだした。
「ヒロミ君は男の子でしょ? 男の子がお嫁さんなんておかしいじゃない。となりのクラスのヒロミちゃんじゃないの?」
 チコは、ほほを膨らませながら、首を横にふる。
「絶対に同じクラスのヒロミ君。チコが間違えるわけがないもん。それとねえ、さらにすごい夢も見つけたんだよ。けど、すごすぎて、ここでは話せない」
 チコはお母さんの手を引く。チコのお母さんは、いつも歩いてお迎えにくる。だから幼稚園から自宅までは、ふたりだけの時間。その時間を目一杯使って、チコはお母さんに見つけてきた夢を話す。
「それはねえ園長先生の夢。なんと園長先生の夢は、世界征服なの」
 母親はほほえんだ。あんなに人の好い園長が世界征服だなんて、何かの勘違いだろう。たぶん、園児からヒーロー戦隊の話を聞かされて、それが脳裏に残っていたのだろう。
 園長先生がチコに突拍子もないことを話しかけられて、困っている様子が目に浮かぶ。
「それとねえ、幼稚園で飼われているピョン吉の夢。ピョン吉の夢は、ニンジンをたくさん食べたいこと!」
「あ、それは正解かも」
「それはじゃなくて、チコは全部正解なの!」
「そうね、チコはいつも正しいもんね」
 母親は、かわいいおかっぱの頭を優しくなでた。
 母親がチコの特殊能力に気がついたのは、チコが二歳のときだった。まだ片言しかしゃべれないのに、母親が考えていることを正確に当てることができるのだ。
 仕草で察しているのかもしれないと疑ったこともあるが、密かに観察した結果、どうやら脳の中身を直接のぞけるらしい。
 ただ、全てが見えるわけではない。チコが受け取れるイメージは、「希望」や「願望」
といったプラスのイメージ。それをチコは夢として受け取るのだ。
 早朝から空を覆い続けた雲が途切れ、隙間から太陽がのぞいた。
「それとねえ、いま、すごい夢を感じ取ったの。とてもとても大きい夢」
「どんな夢なの」
「えーっと、えーっと、それはねえ」
 チコは考え始めた。必死になって、だれかの夢を汲み取っているらしい。
「あのね、昆虫や動物たちが野原で幸せにくらしているの。それと、空は鳥やチョウチョが飛び回り、海の中では魚がたくさん泳いでいる」
「それで、それで」
「土の中ではミミズがはいまわり、モグラが穴をほって追いかけ、オケラがひっくりかえって笑っているの」
「とても楽しそうな夢ね」
「まだまだ続くわよ。高い山には白い雪がふり、森のあるところには雨が降るの。川はとても澄んでいて空気はとても清らかなの。南極はとても寒いけど、氷の上でペンギン達が元気にくらしているの」
「ずいぶんと大きな夢ね。それは誰の夢なの?」
「うーんと」チコは首をかしげた。「分からない。けど、とっても大きな何か」
「そうなの」
 母親は少しねぐせのついたチコの髪の毛を整えた。チコははにかみながら母親の手に自分の指を絡ませる。
「だれの夢かは、またそのうち考えるね!」
 チコは夢のことなど忘れたように、公園のブランコに向って駆け出した。
 いまの夢はだれの夢だろうか、と母親は考えた。もしかしたら地球の夢ではないかと想像したが、地球という無機物が夢を見るわけはないとその考えを打ち消した。
 ただ、地球上の生物みんなの夢が集まってチコにあの夢を見させたのだとしたら、そのメッセージは真剣に受け取らなければならないのかもしれない。
 太陽はいつもより輝いて見えた。
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【掌編】齊藤想『フナムシ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第33回)に応募した作品です。
テーマは「虫」でした。

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『フナムシ』 齊藤想

 足元をフナムシが走り抜けた。
 波が岩を洗うたびに、小さな虫たちが走りぬけ、ときおり注意力不足の個体が健吾の足にまとわりつき、慌てて逃げ出す。
 晩夏の荒波が磯に当たっては砕けていく。
 先ほどまで散乱していたフナムシの姿はもう見えない。
「ねえ、健吾」
 優華が健吾に話しかけた。この旅行が終わったら、二人は別々の道に進むことになっている。別離旅行みたいなものだ。
「ここにくるのは久しぶりだね」
 優華の黒髪が潮風に吹かれた。風元には岩だけの島が見える。その島に渡る小船を操る船頭が、期待を持った目で健吾たちを見つめている。
「あまりに昔過ぎて、忘れてしまったよ」
 健吾は遠い目をして答えた。いままで歩んできた二人の道のりは長かったのか、それとも短かったのか。人生時計の長短を判断できる人間は、この世にはひとりもいない。
 船頭が腕時計を覗いた。太陽が夕日に変わろうとしている。営業終了の時刻になったようだ。船頭は二人を乗せるのを諦め、島に渡っている観光客を迎えるために櫂を漕ぎ始める。ボートのような小船が、波間に揺れながら遠ざかる。
 二人の関係を清算しようと言い出したのは優華だった。不倫でもないのに”精算”という言葉を使うところが、デジタル的に物事を考える優華らしかった。
 優華と健吾は高校時代の同級生で、同じ水泳部で、気がついたら恋人同士になり、結婚して子供もできた。
 家族をつなぎ合わせてきた子供も大人になり、二人は第二の人生を考える年齢になっていた。あと何年生きられるだろうか、と健吾は思った。「いままで家族という枠組みを維持するために我慢してきたのだから、これからは好きなことをして暮らしましょう」というのが優華の意見だった。
 健吾は優華の意見に賛成し、最後に旅行をすることになった。
 こうして、思い出の地に立っている。
 夕日が完全に水平線の下にもぐるとき、二人は離婚する。そう約束した。
「フナムシは溺れるらしいな」
 健吾は唐突に口にした。
「いつも波間にいて、海と仲良しに見えるけど、実際は水を恐れる臆病者だ。いまは岩陰に身を潜めているけど、このまま満潮になったら海に溺れて死んでしまう」
「変な生き物なのね」
 優華は小さく笑った。岩陰からでてきたフナムシを捕まえようとしたが、小さな虫は十四本の脚を細かく動かして、素早く隣の岩陰にもぐりこんだ。
 彼は、潮が満ちてきて溺れる前に逃げ出した勇気ある個体なのかもしれない。彼の勇気に続くフナムシは見当たらない。首をすくめ、見慣れぬ生物が去るのを待っている。
 夕日は容赦なく沈んでいく。妻に伝えるべきことはないのか。自分の本心はどこにあるのか。健吾は心の中で反芻するが、何も浮かんでこない。
 観光客を迎えにいった船頭が、桟橋に戻ってきた。
 平日の最終便ということもあり、古い船から下りてきたのは家族連れが一組だけだった。大きい船は一隻で、小さな船は一艘と数えるのだったな、といういまの状況に関係ない知識を健吾は思い出した。
「あと十分ね」
 優華はそういいながら、目を泳がせた。何かを迷っている。
「あの日も二人の足元をフナムシが走り回っていた。それだけなのに可笑しくて、笑い転げ、勢いのまま告白して恋愛が始まった」
「いまさら思い出話をしたいの?」
「いいや、違う。別れるということは、もう一度、恋愛できるということだ」
 二人の間をフナムシが走り回る。コミカルなフナムシの動きも、いまの二人には笑いを誘わない。大人になったのだ。
「また付き合えというの? それはダメよ」
 優華はあっさりと首を横に振った。夕日が最後の光を大地に向って放とうとしている。優華が海面に手を伸ばして、海に浮かぶフナムシを掬い取った。フナムシは再び歩き始めると、岩陰に隠れた。
「だって、、あた夕日が沈みきっていないじゃない。いまは夫婦なのよ」
 長年連れ添った夫婦だ。これだけの返事があれば、意志は伝わる。溺れかけたフナムシは救出された。日が沈みまた昇るように、夫婦も再生していく。
 日没の時刻になっても、海面から漏れる夕日が、二人を紅く照らし続けた。

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【SS】齊藤想『最終切符』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第32回)に応募した作品です。
テーマは「切符」でした。

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『最終切符』 齊藤想

 近郊都市行きの最終電車。アルバムに挟まれた古ぼけた切符。インクはかすれ、地紋も淡くなり消滅しかかっている。
 それでも、未緒はこの切符を捨てることができなかった。
 地元の高校を卒業した翌日のことだ。当時交際していた康成は、未緒にこの切符を渡しながら、こう宣言した。
「東京で一旗揚げることに決めた」
 次の言葉は分かり切っている。画家になるというのだ。同級生が数人しかいないような学校の写生大会で金賞を取り、東京から赴任してきた先生に褒められた。それだけのことなのに、康成は自分には才能があると勘違いしている。
 ただ、未緒は彼氏のことを責めるつもりはなかった。過疎化に悩み、夢も希望もないこの村では、儚い空想にすがって生きるしかない。未緒と康成の違いは、空想を空想だと認識しているか否かにすぎない。
「三年間通い続けた電車も、明日が最後だな」
 地方路線は次々と廃線の憂き目にあっている。赤と青のツートンカラーの車体も、週明けには永遠の眠りにつく。またひとつ、村の希望が削られる。
「だから、この日に旅立つことに決めた。この電車とともに村を捨てる。そのときには、未緒もついてきてほしい」
 康成は高校生なりに真剣だった。大人のつもりだった。背伸びをしていた。ただ、未緒は彼氏と比べると少しだけ現実的だった。空想を未来だと思い込むことはできなかった。康成に画家としての才能が不足していることも理解していた。
 返事を躊躇する未緒の姿を見て、康成も悟ったようだ。その場を取り繕うように、未緒に切符をカバンにしまうように促した。
「もちろん無理には言わない。おれだって、向こうで芽が出るかどうかわからない。それに、まだ住まいもアルバイト先も見つかっていないしな」
 彼は乾いた笑い声を立てた。三月下旬を迎えようとしているのに、春の訪れが遅い東北の山村らしく、彼が言葉を吐くごとに白い花が咲く。
「画家として成功したら、未緒のことを迎えにいく。そのころには、おれは大豪邸の主だ。それまで切符は大切に持っていてくれ」
 空虚な言葉とともに、夜は深みを増していった。

 康成はひとりで旅立った。彼氏には悪いと思っても、失敗するとわかっているチャレンジに人生を掛ける気持ちにはなれなかった。
 その後、康成の消息は途絶えた。未緒が危惧していたように、康成は画家としては生活することができず、いつしか画商の見習いから古物商になったという。
 康成はあれだけ胸を張って故郷を出たのに、あっさりと夢が破れたことが恥ずかしく思ったようで、古物商の資格を取り、起業したときも地元には何も言わなかった。
 その康成から、五年ぶりに手紙が届いたのだ。
「いまから迎えに行く。約束の切符をもって、あの廃駅まで来てほしい」
 未緒は康成が自分のことを覚えていたことに驚いた。画家ではなく、古物商として成功したのかもしれない。別の意味で、康成は夢を叶えたのだ。
 廃線となった駅は修繕されることなく雨曝しになっていた。
 高校卒業から未緒は何もすることがなく、腐るほど余っている土地で農業のまねごとをしながら、ジャガイモを農協に出荷していた。春作が終われば秋作が始まる。代り映えのしない地元の祭りに、懇親会だかなんだかわからない不思議な集まり。
 そうした若者とは思えない日々を過ごす中で、未緒にとって康成は希望の光だった。その康成が、村に帰ってくる。
 あの駅で、あの切符をもってなんて、康成は都会でもまれてしゃれっ気が出たのかもしれない。未緒の胸はときめいた。
 約束の日。康成は国産の中古車を運転してやってきた。整備不良なのか排気ガスに黒煙が多い。服装もラフなシャツにジーンズだ。
 イメージと違う。未緒は落胆したが、これが康成のスタイルなのかもしれないと気持ちを立て直した。康成は急いであの時の切符を見せてくれといった。未緒は素直に渡す。
「これだよこれ。保存状態も完璧だ」
「この切符がどうかしたの」康成の興奮っぷりに、疑念を持った未緒が尋ねた。
「千間山号の最終列車の未使用切符がマニアの間で高騰してさ。これさえあれば、おれの店も一発逆転だ。ところで未緒、今度こそおれについてこないか」

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【掌編】齊藤想『雪の顔』 [自作ショートショート]

平成27年ゆきのまち幻想文学賞に応募して、予備予選を通過した作品です。

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 『雪の顔』 齊藤想

 モンタナの冬は早い。十一月に入ると町全体が冬化粧を始める。大地にはうっすらと霜が降り、町全体が白い靄に包まれる。大陸性の乾いた空気が大地をなぎ、辛うじてしがみついている草花を凍らせていく。
 住民たちは慣れたもので、秋風が吹き始めると早々に冬ごもりの準備を進めていく。これから長い冬眠生活が始まるのだ。
 わが家もすっかりとモンタナの冷気に包まれた。防寒用に特別に配置した二重ガラス窓もしんと凍りつき、夏には青々としていた芝生もとうに枯れ果てた。
 厳しい環境が続く外に比べて、冬支度の完了した室内は穏やかなものだ。
 暖炉にくべられたまきが火の粉を飛ばしながら弾け、安楽椅子に揺られている私の下半身を暖めてくれる。暖炉の上に置いてあるラジオは、雪雲などものとせず電波を受け続けている。
 燃料はいくらでもある。いざというときの保存食も蓄えてある。毎年繰り返される、何も変わることの無い光景。
「今年ももう冬ね」
 妻の感想に「ああそうだな」と私は自動人形のようにうなずく。
 ラジオは季節を置き去りにしたかのように、ビートルズの最新曲を披露している。わが家に届いたばかりのカラーテレビは、わが軍がラオスに侵攻し、ベトナム戦争がさらに泥沼化していく様子を不安そうに報道していた。
 変わっていくのは、日常から離れた遠くの世界だけ。ラジオとテレビを通じて、少しだけ世間とつながっている気分になる。
 私は不愉快な映像から逃げるように、暗くなった庭を眺めた。太陽が少し傾いたと思ったらまもなく夜のとばりが降り始める。
 日が蔭ると気温は一直線に下降する。出番を待ちかねていた雪雲は、準備万端とばかりに綿毛のような雪を吐き出す。
 ひとつひとつの雪が、ゆっくりと地上に降りてくる。様々な結晶が窓に映る。
 私は、白い珠をじっと見つめた。
 雪の結晶には顔がある。笑っている顔もあれば、泣いている顔もある。未来に希望を抱えた若い夫婦もいれば、日々の生活にいそしむ子だくさん三世代の大家族もいる。
 みんな別々の顔になって、私の目に飛び込んでくる。

 雪の結晶が人間の顔に見えるようになったのは、いつのころからだろうか。
 きっかけといえるようなものはある。大学の講演で聞いたある教授の言葉だ。
「空から降る雪には、ひとつとして同じ結晶はないのです。それは、人間ひとりひとり全て顔が異なるのと同じです」
 そのときはそうなのか、としか思えなかった。講演の後で自宅に帰ると、庭は一面の雪景色だった。その雪を踏みつけながら、庭を横切るとき、どこからか声が聞こえてきた。雪の結晶たちが、靴跡の下から「痛い、痛い」とささやいてくるのだ。
 最初はただの空耳だと思っていた。久しぶりの外出で疲れたのだろう。
 しかし、空耳は日を追って強くなり、いつしか、雪の結晶が人間の顔に見えるようになった。
 最初は踏まれて「痛い」と言っているのかと思った。しかし、後にそれは違うということに気づかされる。それは、私の心の底に潜む、重苦しい十字架。長らく封じ込めてきた地獄の門のさらにその奥に向って、言葉を投げつけてくるのだ。
「あなた電話よ」
 妻が私のことを呼ぶ。内容は聞かなくても分かっている。またあの話だ。
「もう話すことはありません」相手にそれだけを告げると、受話器を静かに置く。電話越しに愚痴のような声が漏れてきた。私は無視した。
 妻が私のことをたしなめる。
「少しぐらい話してあげてもいいじゃありませんか。あなたはいまでも英雄なのだから」
「元英雄だよ」
 私は唇の端を曲げながら答える。
「いまはベトナムで苦戦中なのだから、あなたのような英雄が国民を元気づけなくてどうするのですか」
「いや、その……」と私は声を濁した。戦争の英雄になるということは、敵国の人間をたくさん殺すことだ。そういう意味では、確かに英雄なのかもしれない。しかし、それは血塗られた英雄だ。恥ずべき勲章だ。
 そこまで思い浮かべると、私の心は遠くに飛んでいった。
 
 モンタナに移住したのは、第二次世界大戦終結後の間もない頃だった。
 この地を選んだ理由は特にない。戦争で十分に財を蓄えたので、第二の人生では牛や馬を放牧してのんびりと暮らそうと思った。
 人生設計は完璧だった。綻びはなにひとつ見つからなかった。モンタナの無垢な雪たちが、ひそひそ声で囁き始めるまでは。
 かつての戦地で、オリンピックが開催された。
 当時の私は長年英雄として祭り上げられていたこともあり、意気揚々として、占領軍が乗り込むような気持でオリンピックと日本観光を楽しんだ。まるで親のような気持で、日本人選手を無邪気に応援をした。日本人は総じて親切だった。
 もちろん、私を英雄にしてくれた現場にも向かった。一時は廃墟となっていたこの街もすでに戦争の面影はなく、復興した姿で旅行者を迎えてくれた。現地の資料館に飾られていた焼け野原になった降伏直後の写真を見ても、何の感慨も湧かなかった。ゴミ溜めのような町をゴモラの火で浄化した神様のような気持だった。感謝されても良いとまで感じていた。
 そのような私の気持ちを揺さぶったのは、ある本に掲載されていた一枚の写真だった。
 その白黒写真には顔かたちの判別がつかないほど黒こげになった遺体が写されていたが、なぜか背中に一部だけ白い肌が残っている。不思議だなあと思っていると、写真の隅に小さな黒こげの遺体があることに気が付いてしまった。
 この遺体は親子だった。赤ん坊をおぶっているときにやられたのだ。
 その瞬間、私が殺した三十万人という人間が、数字ではなくひとつひとつの顔となって迫ってきた。数字の数だけ人生がある。三十万の人生を、私は上司からの命令とはいえ、すべて消し去ってしまった。
 しかも、彼女たちは武器一つもっていない無抵抗の民だ。
 英雄だと祭り上げられていた自分が恥ずかしくなった。いや、本当は痛みに気が付いていた。それなのに、自分は英雄だと祭り上げられることを積極的に受け入ることで、込み上げる罪悪感に蓋をしていたのだ。
 私にとって誇れるものはなにもない。
 人生の全てが、嫌悪感という雪雲に包まれていった。
 
 モンタナにいると罰を受けているような気持になる。
 積もった雪は、いつかは溶ける。春になれば、ゆきたちは形を変え、まるで何もなかったかのように消えてしまう。
 冬の間、私にいろいろな話を聞かせてくれた雪たちは、太陽に焼かれ、悲鳴を上げながら顔かたちを崩していく。あの日、私は上空一万メートルにいて、見ることも気が付くこともできなかった。真夏の太陽の下で、気持ちよく飛行機を飛ばしていた。巨大なきのこ雲を見て喜んでいた。
 彼女たちは怒っているだろうか、それとも悲しんでいるだろうか。もしまだ生きていたら、どのような人生を歩んでいるのだろうか。どのような喜びを積み重ねているだろうか。
 妻が少し外に出ると、小さな雪だるまを持ってきた。
「近所の子供がたくさん作っていたから、ひとつもらってきたの」
 そうか、と私は答える。
「雪だるまは、何か話しているかしら?」
 私は息を飲んだ。妻はとっくの昔に気がついているわよ、という表情をした。
「雪たちだって、ジョーを苦しめるために降っているわけじゃないの。高いところで偉そうに座っている雪雲に命じられて、地上に向っただけ。そのあげくに踏みつけられ、春になれば太陽に溶かされ、ときには雪だるまにされる」
 妻はひと呼吸おいた。
「それが人生というものよ。だれも助けてくれない。人生の価値は自分で決めるしかない。たとえそれが苦痛に背骨が歪むような悲しい出来事だったとしても」
 テーブルの上に妻が淹れたコーヒーが置かれた。台所からリビングまで湯気が線のように繋がり、空気に染み込むように香気が広がっていく。
 雪はいつしか消えていく。
 私もいつか、雪のように、人生から消えていく。それまで、良心にさいなまされ、苦しめらながら、妻と手を取り合いこの地で生きていく。神の助けは決して来ない。
 それで良いのかもしれない。ふと、そんなことを思った。

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【掌編】齊藤想『ドラえもん』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第31回)に応募した作品です。
テーマは「質屋」でした。

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『ドラえもん』 齊藤想

「これもういらない」
 と、のび太は古ぼけた青いロボットを台車からおろすと、そのまま床に転がした。眼鏡をかけた質屋の店主は、二頭身のタヌキのような機械をひっくりかえした。ロボットだが、死んだ魚のような目をしている。顔のパーツは全体的にバランスの悪い配置をしているが、中央の赤い花だけが、まるで荒野に咲く一輪のバラのように、強く印象に残った。
「これは二十一世紀の猫型ロボットだな」
「そう」とのび太は冷たく言った。
「こいつ、すごく面倒くさいんだ。ぼくのことを助けてくれるといいながら、秘密道具を出しおしみして、毎日ように小言ばかり。ぼくがジャイアンに暴力を振るわれようが、先生に説教をされようが、おかまいなし。お母さんよりひどいんだ」
「暴力を肯定するわけではないが、ジャイアンや先生を怒らせたのは、君にも原因があるのではないのかね。彼の小言は、君のことを心配したからではないのかね」
「そんなの関係ないね」のび太はぶっきらぼうに言った。「おれはこいつのことを呼び寄せたわけじゃない。二十一世紀の技術かなんだか知らないけど、無断でタイムマシンを机の引き出しに繋げてきて、部屋に現れるとおれのことを助けてやると、こいつが宣言したんだ。居候させてやっているんだから、おれの命令を聞くのは当然だろ」
 店主は、愛嬌のある顔をしたロボットのひげを引っ張った。鋼鉄のように硬くて曲がらない。店主は、ロボットにも死後硬直があるのかと思った。
「こいつ、電源を落とすと固まるんだ。そしたら重くてさあ」
 のび太はスニーカーのつま先で、胴体を蹴飛ばした。狭い店内に、ドラム缶を叩いたときのような音が反響する。
「それで、これから君は誰の助けを借りるのかね」
「明日からドラ左衛門がやってくる。こいつはドラえもんを超える、二十二世紀のロボットだ。ポンコツより絶対に役に立つ」
「そのドラ左衛門を君はどうやって呼んだのかね」
「こいつに命令した」のび太は猫型ロボットの腹に足の裏を載せて、激しくゆすった。
「こいつのことを、この役立たずと散々ののしって、代わりにもっと優れたロボットを寄こせと要求したんだ。最初は抵抗したけど、最後はあきらめたのか、ドラ焼き三個と交換契約成立だ」
「それで」と店主は先をほどこした。
「そうしたら、こいつはドラ焼き三個を子供のように食い散らかし、お母さんの入れてくれたお茶を老婆のようにすすると、いままでお世話になりまたと祝捷にも額を畳にこすりつけてきた。そして、立ち上がると、いきなり電源を落としやがった」
 のび太はいまいましそうに、ロボットを見下した。
「そうしたら、死んだロボットの重いのなんのって。最初は粗大ごみに出そうかと思ったけど、もしかしたら金になるかと思い直し、ここまで運んできたというわけよ。それで、親父さん、こいつをいくらで買い取ってくれるか?」
 のびたは指先でわっかを作った。店主は悲しそうに首を横に振った。
「未来の商品は買えません。お持ち帰りください」
「そんなこと言われてもよう」とのび太は口を尖らせた。ここまで台車を押してきた苦労を喚き散らし、それでも店主が翻意しないとみると、ゴミ処理費を負担することもなく勝手に処分してくれと捨て台詞を吐いて立ち去った。
 店主はため息をついた。のび太がいなくなると、店主はロボットの尻尾の先についている赤い玉を強く引いた。店主は猫型ロボットについての知識があった。死んだ目に光が宿る。
 苦労を重ねてきたロボットに、店主は優しく声をかけた。
「また失敗したようだね」
「うん……」と起動したばかりのロボットは悲しそうにつぶやいた。
「けど、次こそはうまくいく気がする。のび太を救えるのは自分しかいないんだ。だって、ぼくが頑張らないと、のび太は……」
「ああ、分かっているよ。君の好きなようにすればいいさ。私はいつでも待っているから」
 店主は大きな雑巾でロボットの全身をぬぐった。この様子は、まるでくすぐられる猫のようだと思った。
 清潔さを取り戻した猫型ロボットは、質屋のカウンターの裏側にあるタイムマシンに乗り込むと、再び旅立っていった。二人が初めて出会った、あの日ののび太のもとへと。

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【掌編】齊藤想『一打席』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第30回)に応募した作品です。
テーマは「花火」でした。

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『一打席』 齊藤想

 小沢弾道は、なぜ自分がプロ入りできたかも分からなかった。
 甲子園には三年間を通じて縁が無く、実績といったらプロ入り確実と噂された強豪校のエース左腕から地区予選でホームランを打ったぐらいだ。
 もちろんまぐれ当たりで、あとの三打席は完璧に抑えられた。チームも負けた。
 高校三年生のとき、冗談のようにプロ志望届けを出したら育成選手として拾われた。いわば三軍のような扱いだ。
 プロ入りした小沢は、コーチから奇妙な指示を与えられた。
「他の練習はしなくてよい。左腕のスライダーを打つ練習をひたすらしなさい」
 強豪高のエースから放った弾道を、ひたすら思い出すかのような練習だった。
 しかし、同じ練習を三年続けていると、さすがに焦りがでる。育成選手の契約期間は三年間だ。再契約も可能とはいえ、ひとつの目安であることは間違いない。
 それがシーズン終盤になり支配下選手登録、簡単に言うと二軍に昇格し、日本シリーズ直前に一軍と帯同することになった。
 プロ入りしたときと同じく、小沢にはなぜ一軍になったのか分からなかった。
 監督のサプライズ人選に注目されるかと思ったら、記者会見で監督は「まあ、一芸に秀でているから、使う機会もあるでしょう」とそっけないものだった。
 無口な監督は、ときおり意表をつく選手起用をする。引退直前のピッチャーを開幕投手に起用したり、一人一回、九人の継投で完封勝ちしたこともある。また監督の気まぐれかと記者たちも思ったとだろう。
 それにしても、なぜ小沢なのか、自分でも分からなかった。

 日本シリーズは一進一退の攻防が続いた。
 チームが勝利を挙げると、相手チームが取り返す。オセロのような展開に一喜一憂しながらついに第七戦にまでたどり着いた。
 この試合に勝てば優勝だ。もちろん小沢に出番は無い。
 大一番に先発として起用されたのは、両チームともローテーション通り三番手投手だった。シーズン最後の試合なので、両エースも準備を怠らない。
 試合はいままでの疲労が蓄積されたかのような乱打戦となり、六回終わって七対七の同点だった。
 寡黙な監督がコーチに何事かつぶやいた。うなずいたコーチが小沢に声をかける。
「いまから振っておけ」
 代打の準備だ。一軍経験が皆無な小沢に声がかかる理由が分からない。
 小沢は日本シリーズになって急に呼ばれた監督の意図を、主力選手へのあてつけだろうと思っていた。油断していると試合に出れなくなるぞという警告だと感じていた。
 だから、本当に出番がくるとは思っていなかった。
 最終回になった。チームは一点を追いかける展開だった。最終回のマウンドに立つのは相手チームのエース。三年前に地区予選でホームランを放った、強豪高の左腕だ。
 彼は野球エリートらしく、入団二年目から活躍していた。
 四球でランナーがひとり出たところで、小沢が呼ばれた。監督が直々に声をかける。
「三球目のスライダーを振りぬけ」
 初めて生で聞く監督の声だった。感動で体が震える。
 そこから先は、夢見心地だった。直球が続けてボールとなり、ストライクを取りにきた三球目を振りぬくと、まるで高校時代のように、綺麗にレフトスタンドに飛び込むサヨナラホームランとなった。
 歓喜の渦。チームメイトからの手荒い祝福。
 そして、小沢のプロ生活はこの一打席で終わった。
 小沢が育成選手で登録されたのも、ずっと同じ練習を続けたのも、日本シリーズ直前で一軍に登録されたのも、すべてはこの一打席のためだった。
「同じ作戦は二度と通用せん」
 監督はそう言ったそうだが、小沢には悔いは無かった。
 ほどなくして引退した小沢は、自分のプロ野球生活を振り返った。
 自分はまるで花火だ。リトルリーグに入団した小学一年生から、一振りのために、十五年間も努力を重ねてきたようなものだ。
 小沢は思う。もし、小学一年生のとき、未来を告げられていたら、野球を続けていただろうか。と聞かれたらどう答えるだろうか。
 答えはもちろん「YES」だ。一瞬の輝きは、何によりも美しいものだから。

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【SS】齊藤想『耐久テスト』 [自作ショートショート]

2016年大阪ショートショートで最終選考まで残った作品です。
テーマは「復活」でした。

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『耐久テスト』 齊藤想

 新型二足歩行型アンドロイドの試作機が完成した。
 基本的なテストは実験室で行われてクリアーしたが、まだ実地試験が残っている。この新型機を市販するためには実際に運用し、人類に危害を与えないことを実証しなくてはならない。
 この試験のために、新型機はまだ文明の発達していない殖民惑星に派遣された。知的に劣っている原住民たちの攻撃にさらされても、相手に危害を加えることなく、自らを守り続ければ合格となる。
 
 最初の実験場として選ばれたのは、高温多湿の地域だった。精密機械にとって、高温と湿度は最大の敵だ。この環境に耐えられてこそ、耐久テストの意味がある。
 新型機は川べりで眼を覚ますと、この地域を治める王の元に向かった。身なりや顔つきを整えることで人知れず王子と入れ替わると、安楽な生活をむさぼるようになった。原住民との知力の差が大きいため、このくらの芸当はお茶の子さいさいのようだった。
 城に居座られてはテストにならない。研究室はアンドロイドに指令を与えて強制的に放浪の旅に出すことにした。大雨の中を行く当てもなく歩かせ、ときには大河の飛び込ませた。それでも故障することはなかった。
 彼は厳しい環境に耐え、旅の途中で原住民たちの心を掴むことに成功し、多くの人に慕われるようになった。原住民の精神向上にも貢献した。テストとしては上々の成績だ。
 実証データは充分に揃ったので、彼は木の下で眠らせることにした。原住民たちは死んだものと思って、墓を立てた。
 時代が下ると、彼を祭る神殿のいくつかに「遺骨」と称する物体が埋められるようになった。ロボットである彼が骨を持つことはないので彼らが崇め奉る遺物が偽物であることは論を待たないが、原住民とは不思議な生物である。

 二号機は砂漠へと向かわせた。
 高温多湿の環境をクリアーすることができたので、今度は乾燥した地域でテストを行うことにした。
 二号機も一般家庭に紛れ込み、一号機ほどではないがほどほどの生活を始めたので、これも旅に出させることにした。
 彼は砂漠と荒野を歩き続けた。乾燥と紫外線に充分に耐えた。彼は一号機を同じように旅の途中で原住民の心を掴むことに成功し、多くのひとに慕われるようになった。
 一号機との違いは、支配者層に睨まれたことだった。
 彼は捕らわれ、市内を引きずり回され、槍と釘を何本も突き立てられた。最新鋭のロボットなので、この程度のことで破壊されることはない。しかし、さすがに死んだことにしないとまずいので、一旦は機能を停止させた。原住民たちは死んだものと思って墓を立てた。
 夜中にこっそりと回収しようと再起動させたところ、原住民に見つかって大事件になりかけた。正体がばれることも覚悟したが、なぜか「復活した」と有難がられ、彼をたたえる聖典に奇跡として記載されることとなった。もちろん二号機が事前に「私は復活する」と宣言したことはないが、伝説に伝説が重ねられる過程で復活を予言し、その通りに復活したこととなった。原住民たちの想像力には恐れ入るしかない。
 いずれにしても原住民たちの知力の低さに助けられた部分はあったものの、実験の成果としては上々だった。
 こうして実地試験をクリアーした新型アンドロイドは発売されることになった。いまでは各家庭に普及しているごくありふれた商品だ。

 なお、試作機はあまりにも原住民たちに愛されたがゆえに、一号機は”仏陀”、二号機は”キリスト”と呼ばれ、いまだに彼らの歴史にその名を留めている。

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